【街景寸考】憧れた人たち

 Date:2014年12月02日10時08分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 中学時代、学業にも運動能力にも優れた級友がいた。文武両道にたけた男だったが、威張ったり気取ったりする男ではなかった。歩き方も堂々として品があり、格好良かった。あまりにも自分と先天的な能力差を思い、下から見上げるような存在だった。せめて歩き方だけでも同じようになりたいと思い、彼を後ろから眺めながらその歩き方を真似るように歩いていた。尤も、その成果を得ることはできなかった。真似ていたつもりだったが、ショウウインドウに映る自分の歩く姿は全く別物だった。歩き方というのも生れつきの型枠からは逃れられないのだということを悟っただけであった。

 高校時代はバレーボールのキャプテンに憧れたていた。バスケットボールで一緒に遊んでいた同好の士でもあった。先輩風を吹かすことがなく、無口な方だったが後輩たちにときどき見せた静かな笑顔がまた良かった。そんなに長身ではなかったが、バレーボールをしているときのダイナミックな動きや力強さは圧巻だった。

 この先輩と学校帰りに出くわしたことがあった。就職活動と関係していたようで、背広姿だった。ネクタイが春の風に吹かれ、跳ねるように肩の高さまで舞っていた。先輩の背広姿を見るのは初めてだったが、その格好良さは今でも1枚の写真となって記憶の中にある。私が社会人になってもネクタイピンを使うことがなかったのは、このときの影響によるものだ。尤も、小生の場合、リタイアするまでにネクタイが肩まで跳ねた記憶はない。

 憧れてきた男がもう1人いる。映画俳優の高倉健さんだ。学生時代から現在まで憧れは続いてきた。任侠映画をはじめ「八甲田山」「幸せの黄色いハンカチ」「冬の華」「遥かなる山の呼び声」等々、どの映画も健さんは自分を飾らない謙虚な男の役を演じてきた。不器用だが己の本分を愚直なまでに生きようとする男の姿を表現してきた。

 その健さんが83歳で亡くなった。小田剛一というのが健さんの本名だった。実際の小田氏がどういう人だったのかは知る由もないが、健さんと同じような人だったに違いないと想像する。テレビ番組で「実生活においても高倉健のような人間になることを目指して生きてきた」という小田氏の語りは本音であろう。俳優冥利に尽きる人生だったようだ。

 日本人が心から誇れる男を失ったという気持ちである。男らしく生きる道標を突然外されたときのような思いだ。同時代を生きることができたことを感謝したい。