【街景寸考】5歳の記憶

 Date:2014年12月11日21時22分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 小さい頃の記憶はせいぜい5歳くらいからではないのか。その前のことは単調な日々を過ごしていたせいか、ほとんど記憶にない。5歳の頃からの記憶が残っているのは、幼稚園に通うようになったからだと思われる。一気に新鮮な体験をする機会が増えるからだ。例えば、いきなりの集団生活するようになったこと、初めて12色のクレヨンを買ってもらったこと、私が園児服の裾端を咬む癖があるので、祖父が裾端に胡椒を入れて縫い込んだこと、一番の腕白だったので先生たちを困らせたこと、強い雨が降る中を、祖母が番傘を抱えて迎えに来てくれたことなど。

 この年、私は幼稚園通いとは別の大きな体験をしている。幼稚園を3ケ月間で止め、7月からは叔母が住む金沢で暮らすことになったのだ。叔母が炭住長屋に私を迎えへ来たときのことは覚えていないが、金沢に向かう列車に長々と乗り続け、うんざりしていた記憶がある。加えて、付近にいた乗客たちに囲まれて「森の木陰でドンジャラホイ、しゃんしゃん手拍子・・」(童謡・森の小人)を歌い、拍手をもらったことも覚えている。

 金沢駅に着いたときはくたびれ果てていた。豊前川崎駅より何十倍も大きな駅だった。駅前から直ぐに市内電車に乗り、外の景色を見ていたら旅の疲れを忘れていた。目に映る金沢市内の景色はまるで別世界だった。絵本でしか知らない市内電車、その窓から見える近江町や香林坊の都会的賑やかさ。それまで炭住長屋とボタ山に囲まれて暮らしていた私には、どの風景も目を見張るものばかりだった。小立野という住宅街にある電停を降りて数分歩いたところに叔母の暮らす家があった。玄関アプローチが備えられた家が眩しく見えた。

 叔母の家に居た間、羽咋市の親戚の家に連れて行かれて海水浴をし、冬は近くにある小さな丘で従兄と竹スキーをしたり、軒先に連なる大きなツララに雪球を投げたりして遊んだ。小学校の入学が近づいた頃に金沢を立った。炭住長屋に帰ったときは、長い夢から覚めたような気分になり、以前の生活感を取り戻すのにしばらく時間がかかった。

 ずっと後になって知ったことだが、このとき私が金沢に連れて行かれたのは、炭住長屋での教育環境を心配した叔母が、私を養子にして引き取ろうということだったようだ。この話は諸事情が重なり断念したらしかった。そうした周囲の思惑とは関係なく、私には一生忘れられない実にありがたい体験をすることができたという思いがある。