【街景寸考】よくわからない解散

 Date:2014年12月17日12時09分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 衆議院が解散され、12月14日に総選挙が行われることになった。この拙文が掲載されるころには開票結果が出たあとだろう。政治や政治家に関心がないので、結果がどうであろうと構わないが、おそらく政局に大きな変化はないように思う。

 平成21年8月の総選挙では民主党に票を入れた。自分としては久々に明確な意志を持った1票だった。政権が交代すれば、もしかして政治のかたちも政治家も少しはマシになるかもしれないという意志である。

 果たして、政権を奪った民主党だったが直ぐにボロが出た。政権担当能力のないことが次々と明らかになり、国民は失望した。このときの国民の失望は、民主党に対してだけでなく日本の政治・政界全体にまで及んだはずである。その意味で民主党の罪はあまりにも重過ぎた。政権を奪還した自民党・公明党に対しても、少なくとも地方や中小零細業者、非正規雇用の人々は今でも「民主党より少しはましか」くらいの期待しかないように思う。

 独身時代はほとんど投票に行ったことはなかった。結婚してからはカミさんが連行するように私を連れて行くので仕方なく投票していた。必然、投票は消去法となり、最後に残った政党が自分の意にそぐわない政党であっても票を入れていた。「それでも投票に行かないよりはマシだ」と評する知人がいたが、どうマシなのか少しも理解できないままである。

 こんないい加減な調子で投票をする者が意外と多いとすれば、議員は茶番で選ばれていることになる。議員が茶番で選ばれているから、国会で度々議員が茶番劇を繰り返しているのも頷ける。

 今回なぜ衆議院を解散することになったのか、なぜ消費増税の1年半先送りと抱き合わせで解散したのか、未だに分からない。与党は「アベノミクス解散」だと銘打っているが、ピンとこない。与党はその成果を肯定し、野党は否定している。どちらが正しいかを専門家でもなんでもない国民に判断を委ねようとするのであれば、それこそ茶番ではないか。まだ国民の賛否が問われていない原発や集団的自衛権の行使、特定秘密保護法の是非を争点にすべきではないのか。いずれも国民の生命に直接関わることだからである。

 投票日はまたカミさんに投票所まで連行されることになる。今回もまた消去法による選択しかない。情けないというか、心やましいというか、そんな気分である。