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【街景寸考】「クリスマスした?」
Date:2014年12月17日12時33分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
5歳のころまでサンタが本当にいると信じていた。トナカイのそりに乗って世界中の子どもにプレゼントをするため、空を走りまわるという話も信じていた。クリスマスの朝になると、起き抜けに枕元を見たものだ。そこにサンタからのプレゼントが目に入ったときは、歓声を上げながら両手で抱え込んでいた。煙突がない炭住長屋にどうやって入ってきたのか、なぜプレゼントの紙包みが地元のおもちゃ屋のものなのか、そういう疑問が頭をかすめたが、プレゼントをもらった嬉しさで直ぐに忘れていた。
小学生になってからサンタは作り話だということに気付いた。子ども会が主催するクリスマス会に登場したサンタを見てそう思った。そこに登場したサンタの白鬚は明らかに作り物だと分かったし、太りぎみのお爺さんがサンタであるのに、目の前のそれは細身の中年と分かるおじさんが赤い服を着ていたのだ。サンタに抱いていた夢は壊れたが、大した衝撃は受けなかったように思う。本当にサンタがいたのかどうかよりも、プレゼントをもらうことへの期待の方が大きかったからかもしれない。
このころの我が家のクリスマス・イブは、普段の日と何も違わなかった。祖父と祖母に育てられていたので、ケーキを買って家族で食べるという習慣がなかったのだ。というか、クリスマス・イブという言葉も、クリスマスがイエス・キリストという偉い人が生まれた日であるということさえも知らなかった。
この日にケーキを食べるようになったのは小学校の高学年になってからだ。それまでは「クリスマスした?」と聞かれても、何をしたらクリスマスになるのか分からなかった。今でも当時の家庭でどういうクリスマスをしていたのか分からないが、少なくともケーキを食べることで「クリスマスをした」という気持ちになることができた。
そう言えば、イブの日に同じ長屋の3軒隣の家のステレオからクリスマスキャロルが聞こえてきたことがあった。個人宅のステレオから音楽を聞くのは初めてだった。この時期の商店街に行けばいつでも聞こえてくる曲だったが、このときはとりわけ美しく、神々しく聞こえてきた。「クリスマスをする」という解釈を膨らませることができた経験でもあった。
今でも毎年クリスマスが近づくと、サンタが子どもたちのために忙しく空を走りまわっている光景を想像し、子ども心を楽しませてもらっている。