【街景寸考】老夫婦の情景

 Date:2015年01月21日08時43分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 義母(カミさんの母)に認知症の兆候が現れ始めたのは、12年ほど前からだった。そのころから義母は「どうしてか漢字が読めないようになってきた」と言い出した。症状が悪化して入院するまでの4年間、義父は家事を1人でこなしながら義母の介護を続けていた。食事のときは、食べ物を口にしようとしない義母をなだめすかし、根気よく食べさせた。繰り返される失禁にも、義父は心穏やかに淡々と向き合ってきた。
 
 義母が入院してからは、義父は私のカミさんと毎日のように病室に通い続けた。食事の世話は介護士さんの役割だが、義母の場合は昼食時間内にほんの少しの量しか取ることができないため、義父とカミさんとが受け持つようになった。二人は2時間、3時間かけて義母の口に食べ物を運び、食べ物が喉を通るたびに安堵し、身体の回復に希望を抱いた。

 ベッドで目を閉じたままの状態になってからも、義父の病院通いは続いた。病室に入ると、義父はまずガーゼを温水で濡らしてなでるように目ヤニをふきとり、次に乾燥した義母の唇にリップクリームを塗った。それから義母をゆっくりみつめ、小声で話しかけた。ときどき義母は、その声に応えるかのように目を瞬かせた。これが義父の日課だった。義父が病室で義母に寄り添う姿は入院病棟での日常的な光景となり、その光景が次第に、看護師さんや介護士さんから驚きと感嘆の目で見られるようになった。

 その義父がこの3年間で4度も倒れた。1度目は腰の圧迫骨折、2度目は前立腺肥大の手術、3度目はパーキンソン病の悪化、4度目は誤嚥が原因と思われる肺炎だった。もはや自分で車の運転ができなくなった義父は、以前のように義母の見舞いに行くことができなくなった。

 つい先日、義父は私が運転する車で眼科へ行き、その帰りに義母の病院に立ち寄った。久々の見舞いだった。院内の廊下ですれ違うどの看護師さんも介護士さんも必ず義父を見ると立ち止まり、優しく声をかけてくれた。その表情のどれもが、これまでの義父の義母に対する深い愛情を評するもので、尊敬の念さえそこに感じ取ることができた。

 義母の枕元に近づいた義父は、いつものように義母の肩を軽く揺らしながら話しかけた。自分の兄が先日亡くなったことを報告しているのが聞こえてきた。あとは「がんばってね、がんばってね」と祈るように小声で何度も繰り返していた。眩しくも穏やかな気持ちにさせられる光景だった。義父86歳、義母85歳である。