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【街景寸考】初めての九重登山
Date:2015年02月04日09時10分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
風呂は好きかと問われれば、湯に浸かるまでの前後で異なるので答えに詰まる。衣服を脱いで裸になったり、石鹸で身体を洗ったりするのが嫌いである。湯に浸かってしまえば、心身にまとわりついた垢が溶けていくようで気分が和み、嫌いと言えなくなる。湯上りの爽快感もいい。こうした事情があるので風呂のことを好きだとも嫌いだとも言えないでいる。
山登りに対する心境も風呂の場合と似ている。山頂に登るまでの前後で大きく異なるのだ。しんどい思いをしながら山道を登っていくのは嫌であり、登山向けの服装や装備などを事前に準備するのはもっと嫌である。山頂まで登ったときからは気分が良くなる。そのときの達成感や爽快感は他のレジャーやスポーツでは味わえない魅力がある。これらの心境を総合すると、好きとも言えないし嫌いとも言えない。
4、5年前、ソフトボール仲間に誘われて5月の九重山に登ったことがあった。ミヤマキリシマが見ごろだということだった。1700m級の山登りは初めてのことだったので、少し気後れしたが断れなかった。何の準備もしないままリユックにタオル1枚とコンビニで買ったおにぎりとお茶を放り込んだだけだった。買い物袋1つでも間に合ったが、山登りなのでせめてリユックでも背負わないと様にならない気がした。
当日は快晴だった。仲間たちは登りの途中で何度か立ち止まりながら、自然の景色を堪能していた。それを横目にして私はひたすら登ることだけに集中していた。下山のときもそうだった。イノシシのように九重山を駆け下りた。その速さは仲間たちを驚嘆させたようだった。その登り下りを見ていた彼らは、いかに私が登山に向いてない性格であるかという評価をしたに違いなかった。そう言えばミヤマキリシマのことも忘れていた。
下山後は麓にある小さな温泉に入った。浴槽がコンクリート打放しで造られた場末の古い銭湯という印象だった。その浴槽にゆっくりと身体を沈め、首まで浸かったとき「わぁ!」と思わず叫んでいた。骨や筋肉が疼くほど痛めつけられた身体に、熱い湯が染みわたったのだ。「ううっ、ううーっ」という唸り声も続いて出た。至福の境地から出たものだった。
湯の熱さに慣れたところで顔を上げたら、その正面に開け放たれた窓があり、窓の先に丸ごと九重山が立ちはだかっていた。気高く、緑が実に美しい九重山だった。私は神妙な面持ちになり、「また九重に誘われたら、どう返事をしようか」と問いを何度も繰り返した。