【街景寸考】清潔好きは適度がいい

 Date:2015年02月12日12時16分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 子どもたちが手洗い場で手を洗っている光景がテレビに映っていた。石鹸を使って懸命に洗っているように思えたが、医師が解説役で現れて手の洗い方に色々と注文をつけていた。指を一本ずつ反対の手で洗わないとだめだというような指摘もあった。風邪の菌やウイルスが伝染しないようにするためのニュース報道だった。

 この報道には違和感があった。自分たちが子どもだったころは、給食前に手洗い場に並んで手を洗うようなことがなかったからだ。洗ってから給食を食べるようにという注意された記憶もない。最近はそんなに質の悪いばい菌に変質しているのだろうかと思う。

 子どものころ暮らした炭住長屋の衛生環境は良くなかった。6軒長屋の各戸に便所がなく共同便所を使うように造られていた。ろくに掃除も行われていなかったので年中臭いにおいがしていた。手を洗う蛇口もなく、便器は便槽から這い上がってきたウジ虫(蠅の幼虫)がウヨウヨいた。うじ虫を避けて大便をするにはつま先立ちにならなければならなかった。

 子どもたちは共同便所の臭いを避けて長屋の板塀や野っ原に向かって小便をすることが多かった。小便くらいで手を洗う子どもはいなかった。大便の場合でも遊びの途中であれば、尻の拭き方さえ誤らなければ手を洗うことはなかった。

 共同便所が汲み取り式だったのでうじ虫がわき、そのうち蠅になった。蠅は長屋中を飛び回り、ちゃぶ台の上に置いたご飯やおかずに黒くなるほど群がっていた。それを手で振り払いながら食事をした。一匹の蠅が飛んでいるからといって食事を中断するという光景など当時は想像することもできなかった。

 こうした不衛生な環境で生活しながらでも、何かの病原菌が広く伝染したという話を聞いたことがなかった。むしろ、ばい菌に慣れて免疫力が強くなっていたという説を信じていた。手を洗い過ぎると悪い菌と戦う常在菌も手から離れてしまうということを聞いたこともある。行き過ぎた衛生観念で生活を続けると免疫力が低下するだけでなく、悪い菌と戦うはずの自衛軍まで抹殺することになるという理屈である。

 昭和30年代、顔も手足も汚れ、擦り傷を作り、青鼻を垂らした子どもたちが多くいた。彼らは皆元気で溌剌としていた。今どきの子どもよりはるかに頼もしかったように思える。心の発育のためにも清潔好きは適度がいい。