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【街景寸考】「考える」ということ
Date:2015年02月18日08時01分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
頭を難しく考えなければできないような遊びは苦手である。碁とか将棋の類がそうだ。麻雀もやたらと覚えたり考えたりしなければならないので嫌いである。花札は、単に絵合わせをする程度だったら加わるが、相手の札を読み、駆け引きをしなければ勝てないような花札になると尻込みしてしまう。
好きなソフトボールも、考えながらプレイをするのは苦手だ。考えてプレイをしないので試合後の反省会などでは、チームメイトからよく怒りの文句を浴びせられる。「あそこは右狙いでランナーを進めるべきだった」とか「あのバント処理はファーストではなくてサードに投げるべきだった」とかだ。
遊びの世界ではこれでよいと思ってきたが、人生論になると別である。これまで本気で考えながら人生を歩んでこなかったことを後悔するようになった。何事にも軽率に決断を下しながら生きてきた。長々と思い悩んだりすることが大嫌いで、突き詰めて物事を考えることが面倒だと思ってきた。
なぜ自分がそうなってきたかを考えた。日常はほとんど似たような筋書で動いているので、その筋書の上で物事を繰り返していると、そのうち大概の物事に難なく対処できるようになってくる。このことが考えなくなった最大の原因のように思う。あえて突き詰めて考えなくても無事生きていくことができたので、怠惰な脳になってしまった。もっと本気で考え抜きながら物事を判断してきていたら、もう少しは人間的な進歩があったかもしれない。あまりにも楽な道を歩み続けてきた。
「人間は考える葦である」という格言がある。「葦」であるかどうかは別として、人間が「考える」動物であるということに異論はない。辞書では「考える」を「知識や経験に基づいて、筋道を立てて頭を働かせる」と書いてあった。日常の中で普通に頭を働かせるという意味であれば気に留めることはないが、考え抜いて新しい答えを導き出すという次元で言っているとすれば気になるところである。その次元で物事を考えたことがないからだ。
今後は「考える人間」になること意識していこうと思う。そのためには豊富な言語を頭の中に注入することが必要だ。そして、それらの言葉を自分の言葉にしていくというお膳立ても必要になる。ボケ防止にもなっていいが、「時すでに遅し」かもしれない。