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【街景寸考】捨て切れない願望
Date:2015年03月11日08時01分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
思えば、人生の大部分を成り行きまかせで生きてきた。場当たり的に生きてきたとも言える。人生の大きな節目や重大な決断を迫られたときも、本気で向かい合ってきたという自信がない。今ある自分は、そうした軽薄な生き方の積み重ねで作られてきた。自己採点をすれば、低い評価をせざるを得ない。
人の価値とは、どのような信念を持ち、それに向かってどれくらい本気で生きてきたかで評価されるものだと考える。「あの人は本物だ」という言葉で評価される人たちがいる。高い志を持ち、その志に向かって揺るぎなく粛々と行動している人たちのことだ。こうした人たちに比べれば、自分がいかに肝心な実質を持たない人間であるかということが分かる。
「本物」だと評価されない人間は「偽物」だと言われても仕方がない。「偽物」とは、信念を持つことも、本気で生きて行くこともできない人間のことだ。口で言っていることと実際に行っていることが違う人はもちろんだが、ただ無為な時間を過ごしてしまう人も「偽物」の類だと言える。
学生時代、全共闘や新左翼に加わり「世の中を変えなければ」と声高に叫んでいた学友たちがいた。卒業近くになると彼らは次々と髪を短く切り、就職活動へと「転向」していった。これなんかも「偽物」なら、「ノンポリ」を自称し、かといって勉強もろくにしなかった当時の自分もやはり「偽物」だった。否、彼らよりもっと程度の低い「偽物」だったと言える。
「本物」だと評価される人たちの中には、貧困や障害を抱えた人たちの日常生活に手を差し伸べる人がいる。弱者の視点で世間を見ながら強者の論理を憎み、社会から忘れられた人たちの人権を取り返すために活動している人もいる。そうした人たちには私心がなく、驚くほど穏やかな表情をしているという点で共通していた。
自分が「偽物」の類だったことは認めるが、そのことで自らを責め立てているというわけではない。「本物」だと評価される人たちにきっちりと敬意を表しておきたかった。残りの人生を「本物」として少しでも生きていけたらという願望は捨て切きれないでいる。わくわく感からくる願望である。切実感はない。