【街景寸考】命のありがたさ

 Date:2015年03月18日08時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 昭和24年生まれなので「戦争を知らない子どもたち」の一人である。戦争を知らないので本当には命のありがたさを知らないまま大人になった。戦争を体験してきた高齢者の方々は、終戦直後から命のありがたさにつくづく感謝しながら生きてきたに違いない。

 戦後70年経ったので戦争を知らない日本人が1億人を超えるようになった。もうすぐすれば戦争がないことの幸せや喜びを知らない日本人ばかりになるかもしれない。親の子殺し、子の親殺し、無差別通り魔殺人、「人を殺してみたかった」殺人をニュースで知るたびに、このことと無関係ではないように思ってしまう。

 高度経済成長期、アメリカで制作された戦争映画をたくさん見てきた。どれも米軍がドイツ軍をやっつけるという筋書のものだ。戦争を知らない僕ら若者は、そんな映画を観ながら米軍が活躍する場面で声援を贈り、勇猛果敢な戦闘シーンに憧れを抱いた。戦争の残虐さや悲惨さを伝えようとする意図を感じることができない映画だった。

 思えば、まだ自分が子どもだった昭和30年代、周りには戦争の残虐さや悲惨さを味わってきた大人たちがたくさんいたことになる。飢え、破壊、強姦、殺戮などの地獄絵図を実際に体験してきた人たちだ。だが、そのほとんどの大人たちは地獄絵図の真実を語ろうとはしてこなかった。食料難で大変苦労したという話をたくさん聞いてきた程度である。

 なぜ彼らは戦争で体験してきた真実を語ろうとしなかったのか。そのことを疑問に思いながらも、一方では無理に聞いてはいけないことのようにも思えた。彼らが地獄絵図を見てきたというだけでなく、加害の当事者だったかもしれないと思うと尚更だ。自分がその立場だったら、同じように口が裂けても決して言わなかったに違いない。

 近年、アメリカが作る戦争映画が変わってきた。戦争がいかに愚かで恐ろしく、悲しいことであるかを強く訴えかける映画になってきた。戦争は勝っても負けても惨禍の中で大勢の不幸な人間を作り出す大罪でしかない。「プライベートライアン」も最近作「フューリー」もそういう映画だった。

 これまで黙してきた元兵士たちもようやく口を開き始めた。赤裸々な彼らの語り口から命や平和の大切さをあらためて知らされる。彼らの一言一句を聞き漏らしてはならず、その息づかいまで記憶していかなければならない。そう強く思う。