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【街景寸考】ゴウくんの死
Date:2015年04月08日08時01分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
小学3年生のときにゴウくんという子が同じクラスにいた。そのゴウくんがある日突然亡くなった。その日は日曜日だったので、死んだということを知ったのはその夜だ。炭鉱の共同浴場に行っていた祖母が、そこで人伝に聞いてきたようだった。少し興奮した調子で話す祖母の声が、蒲団の中でまだ眠れずにいた私の耳に聞こえてきた。
前日まで学校で元気に過ごしていたゴウくんを見ていたので、「死んだ」という事実をどう受け止めてよいか分からず、蒲団の中で混乱していた。混乱しながらブルブル震えはじめていた。寒くもないのに震えることが不思議にも思えた。
ゴウくんのことを冒頭で「級友」と書かずに「同じクラスの男子」と書いたのにはわけがある。ゴウくんは級友の誰にでも乱暴を働く、いわゆるいじめっ子だった。ゴウくんから弁当の蓋を開けさせられ、唾を吐きかけられたのは私だけではなかった。そのときの衝撃と口惜しさは、しばらく頭から離れることができなかった。「級友」と書けなかったのは、そのわだかまりがまだ自分のどこかに残っていたからだ。
祖母が共同浴場で聞いてきたという話はこうだった。ゴウくんが自転車に乗って遊んでいるときに誤って崖から落ち、家に帰って来たゴウくんに異変を感じた母親が病院に連れて行ったのだが、家に戻るなり「母さん眠たい」と言ったきり逝ってしまったということだった。死因が脳挫傷だと知ったのは何年も経ってからのことだった。
ゴウくんの葬式は自宅で行われ、担任の引率でクラス全員が参列した。それまですすり泣いていたゴウくんの母親は、級長の平原くんが弔辞を読みはじめると声を上げて泣き出した。私は列の後方からそんなゴウくんの母親を眺めながら、「弁当の事件」は許してやらなければならないような心境になっていた。
ゴウくんの死は、ほんの身近で経験した初めての死だった。その後、祖父、祖母、叔母、叔父と、身内の者を何人も見送ってきたが、ゴウくんのときに感じたような恐怖を味わうことはなかった。人は誰でもいつか必ず死ぬという必然を、少しずつ理解してきたからかもしれない。とは言え、自分の死に直面したときの恐怖心までは測ることができないでいる。そう言えば、ゴウくんは死ぬことの恐怖を少しも味わうことなく逝ったに違いない。