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【街景寸考】感心するチマチョゴリ
Date:2015年04月22日08時01分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
女性が他所の家を訪問したとき、畳の部屋に案内されたら正座をして座るしかない。家人に足を楽にするようにと促されても、大抵そのままにしている場合が多い。それでも用件が長引くと正座に耐え切れず、折りたたんだ足を気付かれないように動かしたりすることがある。そうすれば足の痛さから解放されるわけではないが、そうしないと耐えられないような状態になっているように見える。
男性の場合だと、楽に座るよう促されれば直ぐに胡坐(あぐら)がかけるので苦痛を負うことはない。女性もズボンをはいたときぐらいは胡坐をかけばよいのにと思うが、他所の家ではなかなかできるものではない。胡坐をかいた姿は、女性らしさを失い、はしたなく見られると思うからだと思う。
その点、韓流ドラマの時代劇で女性たちが着るチマチョゴリに感心している。私室の床に座っている彼女たちは、チマチョゴリの中で堂々と胡坐をかき、ときには片膝を立てたりしているが、はしたなくは少しも見えない。同じように靴を脱いで床に座る文化なのに、なぜこうも衣裳文化が違ってしまったのか。
畳の上で正座を強いられるのは女性だけではない。男性の場合でも、葬式や法事が自宅やお寺で行われるときは正座をさせられる。強制されているわけではないが、僧坊と同じように座っていなければ礼を失するような気がして胡坐はかけない。しばらくして折りたたんだ足が痛くなり、段々痺れも加わり苦痛も倍加してくる。
痛いのは自分だけかと周りを見回したりすることがあるが、どの顔も平気でいるように見える。自分一人だけ胡坐をかく勇気はない。少し足を横に出せば幾分は楽になるような気がするが、おかまのような格好になるので実行を諦めている。
以前、知人の葬式に参列したときのことだ。喪主が挨拶に立とうとしたときに思いっきりひっくり返る場面を見た。足が痺れて立てなかったのだ。見てはいけない場面だったので、それを見ていた人たちは必至に笑いをこらえ、見なかったふりをしていた。
昨今、斎場で行われる葬儀は椅子に座ることができるので、正座の苦痛を味わうことがなくなった。とは言え、日本で畳文化が続く限りこの苦痛から完全に解放されたわけではない。チマチョゴリを今風の新しいファッションにして、日本の女性たちに提供するデザイナーはいないのだろうか。