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【街景寸考】人前で話すとき
Date:2015年05月20日08時01分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
大勢の人前で話をするときは必ず緊張した。緊張すると鼓動が高鳴り、呼吸が乱れ、息をするのが苦しくなった。そのせいで言いたいことの半分も言えず、何度も悔しい思いをしてきた。子どもの時分は特にそれが激しかった。
当時、大人は緊張しないものだと思っていた。大人が緊張しないのは、色々な人生経験を積んできた自信によるものだろうと考えた。平常心に近い状態で話ができれば、頭に浮かんでくる言葉を自在に組み立てることができる。そんな大人たちを羨ましく思っていた。
ところがその大人になっても、この緊張感から解放されるような兆候はなかった。70歳か80歳のジジイにならないと、この呪縛からは逃れられないのだと考え直した。ジジイになれば羞恥心が希薄になり、無神経になり、自己中心的になり、身勝手な人間になっていく。そうなれば他人に気遣うこともなく、怖いものなしだ。だから緊張しなくなるのだ、と。
ところが、この考えも見当違いだった。最初にそう思ったのは友人の結婚披露宴に出席したときのことだ。70歳過ぎと思われる新郎の父親が謝辞を述べる場面で、その老人は顔面蒼白となり、まるで被告人席に立たされた刑事被告人そのものの表情をしていた。「ジジイだけど緊張している」と思った。
ご老人のあいさつは冒頭からつまずき、極端に短い謝辞になってしまった。頭の中が真っ白になり、用意していた言葉がどこかへ吹っ飛んだに違いない。事前に書いたメモを持参し、それを読み上げた方がよほど良かったはずである。
人前で話すときに緊張するのは性格でも年齢の違いでもない、ということが漸く理解できるようになった。程度の差こそあれ、誰でも緊張するものだ。緊張しないという人がいるとすれば、宇宙人のような人か、よほど場馴れをしてきた人だけである。
上手く話そうとするから緊張するのだと思うようになった。自分がデキの悪い人間だと思われたくないという気持ちがそこにある。それなら逆に「上手に話すことができません」というふうに開き直ってしまえばいい。実際、そう思って試してみたら上手くいった経験がある。問題は、どこまで本気で開き直ることができるか、だ。