【街景寸考】ジジイたちの自慢

 Date:2015年05月27日08時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 還暦野球の仲間たちの中に、飲み会などでケータイに映る孫をやたらと見せたがる輩がいる。見せる画像のほとんどが、なぜか孫息子ではなく孫娘ばかりである。間違っても朽ちかかっている自分の女房を見せるような奇人はまずいない。

 「ほら、これがうちの孫娘だ」と言いながら、近くにいる仲間たちに画面を差し出してくる。大抵、目尻を下げたままの締まりのない赤ら顔で差し出してくる。差し出された方は「ほぉ、可愛いね」と愛想を言い、いかにも興味がありそうに画面をのぞいてみせる。

 「おっ、この子は美人になるぞ」と誰かが言おうものなら、当の輩はさらに目尻を下げて恵比須顔になる。手に持ったケータイを葵の御紋のように振りかざしてはしゃぎ出す輩もいる。この世辞に気を良くして孫のことを長々と喋り続けるが、本気で聞いているような仲間はまずいない。

 別のジジイもケータイを取り出して、孫の見せ合いになることがある。みんなあれだけ酔っているのに、「俺の孫の方がお前の孫よりも可愛い」とか、周りの誰かが「○○さんの孫の方が可愛い」とか言って修羅場になったことは一度もない。どちらの孫娘が可愛いかがはっきり判る場合でも、和やかな雰囲気のままである。

 話は少し逸れる。ケータイ画面で見せるのはなぜ孫娘ばかりなのだろうか。孫息子の画面を実は保存しているのに、あえて見せようとしないのだろうか。それとも元々孫娘だけしか保存していないのだろうか。確かに孫娘の方には花がある。リボンを付けたり、ドレスを着せている画面は華やかだ。その点で孫息子はどうしても孫娘に敵わない。そうした意識がジジイたちに潜んでいるのかもしれない。むしろバァバたちの方が孫娘も孫息子も平等に扱っているように思える。

 自分のことを言えば、現在6歳を頭に七人の孫がいる。みんな孫娘だ。そのうち自分も還暦野球の仲間たちにケータイで披露してみたいと思っている。七人いっぺんで見せれば迫力がありそうだが、それぞれの可愛らしさがぼやけてしまいそうだ。一人ずつ見てもらいた気持ちもあるが、何人目かのところで飽きられてしまいそうだ。それに一辺で見てもらわないと、酒に酔った輩が強引に別の話題を持ち込んでくる恐れもある。

 以上が飲み会での爺馬鹿たちの一光景である。