【街景寸考】大雨の思い出

 Date:2015年06月17日08時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 雨の降る日が嫌いな人は多い。外出しなければならないときは特にそう思う。たまに雨が好きだという人もいる。雨が醸し出す叙情的風景が良いという人か、晴耕雨読を楽しんでいる人たちだ。

 梅雨時がきた。陰暦では6月のことを「水無月」と呼んだ。そのまま訳すと「水の無い月」となり、梅雨時の呼び名としては変である。事典を覗いたら、「無(な)」は「の」にあたる連体助詞「な」のことだから、「水無月」は「水の月」だと訳さなければならないことを知った。由来は、田んぼに水を引く時期なのでそう呼ばれたということも知った。

 梅雨がくるたびに大雨の日のことを思い出す。小学校1年生のときだ。その日は朝から雨が降り続き、夕方になってから更にその勢いが増してきた。大量の雨を包み込んだどす黒い雨雲が、その重みで真っ二つに割れて落ちてきたような雨だった。暗くなるにはまだ早い夕方時分だったが、外は夜に覆われているようだった。

 雨の勢いは夜になっても衰えず、ついに雨水が玄関を越えて浸水してきた。床下浸水だ。この事態になってから家人の動きが一段と慌ただしくなった。ただならぬことが起きているということが子どもの私にも伝わり、泣き喚いた。泣き喚く私を祖母は2軒隣りの長屋に預けた。その家には私より年上の男の子が二人と年下の女の子が一人いた。3兄弟妹は笑顔で私を迎えてくれた。普段からの遊び仲間でもあった。

 同じ大雨の夜だというのに、この家の中は明るさで溢れていた。そのことが驚きだった。それまで味わったことのない明るさがこの家にあった。同じ長屋だというのに夢のような楽しい夜になった。アルファベットやローマ字の読み方を初めて知ったのもこの夜のことだった。兄弟妹たちが遊ぶように教えてくれたことを覚えている。あれほど怖がっていた大雨のこともすっかり忘れていた。

 雨が小降りになったころに祖母が迎えにきた。兄弟妹たちがいるその家からまだ離れ難く、祖母を恨んだ。外は暗くて様子が分からなかったが、雨音もなく辺りは静かになっていた。そのことが悲しく、憎らしくもあった。

 私の場合、雨の日は嫌いではないと答えるようにしている。この大雨の日と密接に関係しているように思う。