【街景寸考】トマトとの出会い

 Date:2015年07月01日10時05分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 トマトが我が家の食卓に登場したのは昭和30年代前半だったと思う。確か小学校3年生の頃だ。それまでトマトを見たことも食べたこともなかった。家が貧乏だったせいか、他所の家庭よりもトマトとの出会いが遅かった。

 トマトはザク切りにして小皿に盛られていた。家人はそのトマトに醤油ではなくソースをかけた。トマトにソースをかけて食べるのが当時の定番だったようだ。ソースをかけるのが本当に大人の口に合っていたのかどうかは分からなかったが、子どもの私には相当の違和感があった。それにソースそのものも調味料としてまだ口に慣れていなかったということもあった。

 試しに醤油の方をかけてみたこともあったが、ソース以上にトマトとの相性が良くないように思えた。どちらもかけずにそのまま食べてもみたが、トマトのうま味を探し当てることができず、何とも捉えどころのない食感だけが残った。果物でも野菜でもないという奇妙な存在だったことも、不確かな味のように思わせていたのかもしれない。

 今はドレッシングがあるのでおいしく食べられるようになった。当時はドレッシングもマヨネーズもまだ一般には普及していなかったので、今ほど生野菜を食べる食文化が定着しているわけではなかった。だからといって何故トマトにソースだったのかという疑問は今でも持ち続けている。単にどちらも同じ西洋物だからという単純な発想からだったのか。せめてマヨネーズでトマトを食べることを当時知っていたら、もっと早くトマトが好きになっていたのにと思う。

 トマトは中学生になってから突然好きになった。悪友のお蔭だった。その悪友は学校帰りにトマト畑を見つけると腰を屈めながら侵入し、赤く熟れているトマトをいきなりもぎ取り、かぶりついた。その勢いに押されるように私もかぶりついた。喉の渇きが癒され、腹も満たされた。何よりもトマトが心底おいしいと思った。

 その日を境に食卓に出たトマトを全部平らげるようになった。トマトが急に好きになった理由は家人に言えなかった。皿に盛られたトマトを見ながら、本当は包丁で切ったりせず、ソースもかけずに食べた方がおいしいのにと思ったが、黙っていた。

 今、露地栽培のトマト畑を見ることは少なくなった。味気ない農園風景になってきた。