【街景寸考】夏休みの心模様

 Date:2015年07月08日08時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 子どもの頃、夏休みが近づくと勝手に心も身体も弾んでいた。終業式の日までくると気分は夏休みになっていた。この日はランドセルを背負わず風呂敷を持参して登校していた。通信簿と「夏休みの友」を包んで持ち帰るためのものだった。

 体育館で終業式を終えると教室で各自に通信簿が手渡された。成績の良い子は平然とした表情で受け取った。成績の悪い子は照れくさそうな表情をした。中位の辺りにいる子は心配顔をしながら受け取る子が多かった。ほぼビリだった私は、おどけながら受け取りに行くしかなかった。

 通信簿が手渡された後は「夏休みの友」(夏休みの宿題)が配られた。表紙は、入道雲の下で水着姿の子どもたちが海水浴場で遊ぶ風景を絵にしたものが多かった。その表紙を眺めているだけで楽しくなった。旅行やキャンプに行くような予定があるわけではなかったが、学校に当分行かなくてよいというだけで嬉しくて仕方がなかった。

 夏休みに入ると朝から晩まで外で遊んだ。昼メシ頃になると慌ただしく家に帰り、掻き込むようにしてご飯を食べ、また直ぐ飛び出て行った。野原や草やぶの中に入ってトンボやバッタを追いかけ、えびじょうげを持って川魚を捕りに行った。木いちごや野イチゴを探しに小山に登り、ヘビイチゴがあると退いた。薄暗くなって祖母が「ごはーん」と叫びにくるまで野球をして遊んだ。

 日課としてあてがわれた「夏休みの友」のことは頭から飛んでいた。ときどき目に入ることはあったが、顔を背けた。盆が過ぎてツクツクホウシが鳴くころになると「夏休みの友」が段々無視できなくなった。遊んでいても喉に小骨が刺さっているような気分だった。赤とんぼが飛び回るようになると更に心が乱れた。

 読書感想文や自由研究は端からする気はなかったが、「夏休みの友」だけは何とか仕上げたいという気持ちはあった。義務感からというよりも担任の怒った顔が浮かんでいたからだった。楽しかった夏休みが灰色に染まっていくように思えた。ラジオ体操だけは欠かさなかったが、このことを高く評価してくれる大人は誰もいなかった。

 小学生時代に過ごした夏休みの心模様である。