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【街景寸考】都会人が「冷たい」理由
Date:2015年07月15日08時01分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
「都会の人は冷たい」という風評をこれまで幾度となく聞いてきた。この場合の「冷たい」というのは、「情が薄い」「素っ気ない」「他人に無関心」というような意味だ。
こうした風評は、田舎の人たちが旅行などで都会に行ったときに感じてきた印象だと思われる。「東京の人に道を尋ねても、親切に教えてもらえなかった」という例が典型である。私も上京した当時、勤め帰りの人で混み合う電車に乗り合わせたときに同じ印象を持った。どの乗客も無表情で、鉄仮面のように見えた。あれだけたくさんの人が乗っているのに、車内から話し声一つ聞こえないことが奇妙に思えて仕方がなかった。
ところが東京で暮らすようになってからは、この風評が間違いであるということが直ぐに分かった。人情の中身は田舎の人たちとどこも変わらなかった。満員電車の中での表情は、過度な密着状態から生じる不快感やストレスによるものだったのだ。鉄仮面に見えるのは、懸命にその不快感に耐えているときだから、である。
都会の人たちが「情が薄い」「素っ気ない」と見えるのは満員電車の中だけではもちろんない。時間を惜しみ時間に追いかけられながら、忙しい環境の中でせちがらく生活を続けていれば誰しもそう見えてしまう。「他人に無関心」に見えるのも、そうした生活に原因があると言えそうだ。
同じ都会でも昼下がりの電車内は「田舎」を取り戻した光景を、ここそこに見ることができる。「冷たい」光景はない。ゆったりとした車内で老婦人同士が親しげに会話をしたり、母親に抱かれている赤ん坊に声をかけたり、変顔を見せたりしていく乗降客たち、毛糸の手編みをしているお腹の大きな妊婦、等々。
都会の休日の中にも「田舎」の光景を見る。自分の心を取り戻した柔和な表情があちこちに溢れている。多摩川べりを清々しく散歩する人たち、子どもとキャッチボールをする父親たち、道を尋ねられて親切に教えている人。都会の人たちが本当の自分を表現することができるひとときだ。
せちがらい生活を強いられる都会の人たち、自然体でゆっくりした時間の中で生活している田舎の人たち、同じ人間なのに気質が違って見えるのは、そういうことではないか。