【街景寸考】晴耕雨読の気分で

 Date:2015年08月05日08時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 夏盛りである。農業生産法人でパート従業員として働き始めて5ケ月が経った。当初は主に農業ハウスの中でミニトマトの収穫や撰果の作業に関わっていたが、その後は屋外でオリーブの苗を育てる作業にも携わるようになった。小鉢に植えられた約3千本のオリーブの苗を相手に水をやり、草取りをし、肥料を撒き、農薬を散布するという作業がある。

 気温や湿度が高くなるハウスの中での作業は蒸し暑くて敵わないが、直接刺すような日射しを浴びて作業をするのも結構大変だ。猛暑日は特に辛い。汗が吹き出し、しきりにのどが渇く。熱中症にならないために水筒のお茶を何度も飲まなければならない。

 持参している水筒は大き目のものだが、午後早いうちにカラになることもある。渇きを我慢していると軽いめまいがし頭が重くなったりするので、近くの自販機まで行き、ソフトドリンクを一気に飲む。がぶがぶいっぺんで飲んだら、頭が元の調子に直ぐ戻ることができる。

 オリーブ相手の作業に携わることになった当初、麦わら帽子を被って「農夫」を気取ってみたい気持ちがあった。「農夫」の格好に憧れのようなものがあったからだ。職場から支給されたキャップ帽を被らず、あえて自宅から持参した麦わら帽子を被ってオリーブの苗の前に立った。ところが作業を続けているうちに、麦わら帽子も熱中症対策には欠かせないものであることを知り、少しだけ自分が恥ずかしくなった。

 勤務日となる月・水・金の週三日で言えば、晴れた日は農園で働き、休日となる雨の日は家にこもって読書をすることが多いので、晴耕雨読に近い暮らしに見えないこともない。この諺は「世間のわずらわしさを離れて晴耕雨読をしながら心穏やかに暮らす」という意味だ。

 自分の場合は不平、不満を抱えながら落ち着きなく暮らすので、この心境とはほど遠い人間だ。それに、世間というのは確かにわずらわしくはあるが、面白さもあり、離れてみたいと思ったことはない。それでも何故かこの言葉に共感したいものがあった。

 晴耕雨読と自分の暮らしに共通するところがあるとすれば、それは変化していく時代に乗って暮らして行くことが下手くそだというただ一点である。共感はこの辺からきたものではないかと思う。オリーブ相手の生活を続けることで「心穏やかに暮らす」境地に少しでも近づいて行くことができれば、ありがたいことである。

 麦わら帽子はその道標にして行くつもりである。