【街景寸考】新聞購読止めた

 Date:2015年08月19日08時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 学生時代から朝日新聞を読み続けてきた。自宅に他紙の勧誘員が何度も現れたが、その都度頑なに断り続けてきた。玄関でサービス用の洗剤箱が気前よく積まれても、勧誘員の懐から巨人戦のチケットが何枚出てきても押し切られることはなかった。地元紙に県内一周駅伝で走った三男の写真が写っていたときも、乗り越えてきた。

 朝日新聞にこだわってきた理由は特にない。単に紙面が見慣れているというだけのことだった。だから今でも各紙がどんな特徴を持っているのかは知らない。知ってみたいという気持ちもなかった。見慣れた新聞であればどこの新聞でもよかったのだと思う。

 その証拠と言えば何だが、新聞を読むときは決まってテレビ番組欄から目を通していた。次に事件や事故が掲載されている社会面、それからスポーツ欄、生活・文化欄と続き、1面の天声人語を読んで一息ついていた。声の欄や政治面、経済面、社説は簡単に読み流した。こうした読み方でも約1時間は費やしていた。

 昨年9月、その朝日新聞を止めた。「新聞ななめ読み」を連載していた池上彰さんの原稿を朝日新聞が掲載拒否したからだ。拒否して直ぐに「掲載を見送った判断は誤りだった」という同紙の対応に腹が立ったからだ。原稿の掲載拒否も、池上さんに対する謝罪も朝日新聞の保身でしかなかった。マスコミの立場でいながら、自分の立場と利権のことしか考えない卑しい政治屋と同じであるような気がして、悲しかった。

 当然、新聞購読を止めたことで禁断症状が出てくると思っていたが、意外にそうならなかった。止めてから10ケ月経ったが今でも平気である。ニュースはテレビやインターネットでも見ることはできる。新聞購読を続けてきたのは、多分に惰性でしかなかったのだ。「社会人なら新聞くらい読んでないと恥ずかしい」という見栄があったかも知れない。

 新聞に掲載される情報や知識は、社会人として知っておくべき事柄ではある。しかも文字情報は正確に知識を吸収することができ、表現力を高めることができる。そういう利点を活かしてきたような人間なら他紙に乗り換えていたに違いないが、そうはならなかった。この程度のレベルであればネット情報だけで十分だ。

 ともあれ、今はさっぱりした気分で朝を迎えている。