【街景寸考】寅さんと渥美清さん

 Date:2015年09月09日08時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 映画「男はつらいよ」は、テレビ放映されたものを加えると大半観た。寅さんの映画を初めて観たのは昭和50年代のことだ。何作目だったのかは覚えていないが、映画館で観た。それまではお金を払ってまで邦画を観に行くということはなかった。

 観に行くきっかけになったのは、学生時代に映画研究会に所属していた友人の強い勧めがあったからだ。彼は、私が寅さんの映画を観たことがないということを知ると、「ええっ?本当に?そりゃ日本人とは言えないよ」と大げさに驚愕しながら叫んだ。

 そこまで驚かれるとは思いもよらなかったので、こちらも驚いた。寅さんを観たことがないという自分が、日本人としてどこか欠陥があるのかもしれないと本気で考えた。彼の私を見る目は、まるでモグリの日本人ではないかという疑いの目さえしていた。

 この屈辱的な気持ちに収まりをつけようと、封切されるのを待って映画館に行ったのである。確かマドンナ役は大原麗子さんだったと記憶している。寅さんを演じる渥美清さんの軽妙な演技に直ぐに魅せられた。とぼけた表情をしながら喋る寅さんのセリフの中には、心に響く大事な言葉が幾つも盛り込まれているように思えた。忘れかけていた日本人の大切な心を思い起こさせてくれる言葉が幾つも飛び出てくるので、何度も唸っていた。

 渥美清さんが寅さん役以外で登場する映画を観たことがない。山田洋二監督が作る映画に友情出演として少しだけ登場することはあった。人の好い警察官役や消防団長役で顔を出すことはあったが、そのどれもが寅さんそのままのキャラでの登場だった。観客は「あっ、寅さんだ」と叫び、その登場を喜んだ。

 どちらかと言えば強面の顔なので、悪党役や真面目な刑事役も演じることができたはずである。戦国時代の武将役も観てみたかった。なぜ寅さん役だけに固執しようとしていたのかという疑問を持ち続けていた。反面、一貫して寅さん役だけを続けていてほしいという気持ちもあった。寅さん演じる渥美清さんのイメージを壊したくなかったのかもしれない。もしかしたら渥美清さんも、そうした国民の願いに応えていたのかもしれない。

 亡くなってからもう21年が過ぎた。今でも「元気にしていたかい!」という寅さんの優しい声が聞こえてくることがある。