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【街景寸考】名曲喫茶「ライオン」
Date:2015年10月28日08時01分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
なぜか幼い頃から古典音楽を聴くのが好きだった。家人の誰かが何かの楽器を弾くとか、その手のレコードを聴いていたという環境があったわけではない。音楽につながるものといえば、せいぜい叔父が吹いていたハーモニカとラジオくらいしかなかった。
ラジオから流れてくる歌謡曲や古典音楽にはいつも耳を傾けていた。歌謡曲は2,3回聴いただけでメロディを覚えることができたので、歌う楽しみを覚えた。古典音楽はメロディごとに色々な空想の世界に入り込んで行けるという楽しみがあった。ヨーロッパにあるような教会の高い天井を見上げていたり、星々が小さく瞬く宇宙空間を浮遊したり、白馬に跨る騎士となって凱旋したりする自分を想像しながら楽しんだ。
古典音楽との関係は、テレビが家に持ち込まれてからは遠のいて行った。「テレビっ子」に豹変したからだ。高校時代、音楽の授業で古典音楽を聴かされることはあったが、野球の部活で疲れ、いつも机に突っ伏して眠っていた。
大学時代、バイトに追われて学校に行けず、彼女もおらず、自分の将来に希望を持てず、精神的に不安定な状態が続いていた頃、渋谷で他とは違う喫茶店をたまたま見付けた。道玄坂を少し上がって右手に曲がった先の裏路地にその喫茶店はあった。看板には名曲喫茶「ライオン」と表示されていた。最初は忘れていた古典音楽をこの喫茶店で取り戻す機会を得たような気分だったが、次第に不安定な自分の精神に点滴を打ちに行くような気分になっていた。
薄暗い店内には巨大スピーカーが鎮座していた。一階が吹き抜けになっており、すべての座席がスピーカーの方に向いた小劇場のような造りになっていた。持参したレコード盤をリクエストすることもできた。この店に入ると、何も考えずに時を過ごすことができた。子どもの頃のように空想の世界に入っていったりもした。
10年くらい前、東京出張のついでに「ライオン」に行ったことがあった。40数年振りだったが店は当時のままだった。店に入ったとき、学生時代ここに避難していたときのような暗い空気感から解放されている自分を感じることができた。ゆっくりコーヒーを飲みながらそのことに感謝した。
古典音楽とは「ライオン」に通っていた学生時代から縁が切れたままである。帰り際、初めて「ライオン」のパンフレットを手にし、外に出た。