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【街景寸考】年賀状のこと
Date:2015年11月11日08時01分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
年賀状を書かなければならない時期がきた。現役の頃に比べるとやり取りする枚数も相当減ってはいるが、億劫に思う気持ちは変わらない。書くまでに気持ちを準備する期間が幾日もかかり、簡単に筆を執ることができない。結局、暮れも押しせまったところでしぶしぶ書くことになる。毎年決まってそうだ。
年賀状を書くことに抵抗感があるのは、儀礼的なものでしかないと思っているからだ。自分の近況を伝えたい相手であれば、書きたい気持ちも当然違ってくる。そういう相手であれば、年賀状に限らず普段から便りのやり取りをするのではないか。年賀状は、相手側が出してくるという予測の下に義理で書くという関係でしかないので、つまらなく思う。近年ではメールで年賀を済ませることができるようになり、便利になった。それでもメールだと失礼にあたる相手もいたりするので、この習慣からなかなか抜け出せない事情がある。
年賀状がつまらない決定的な理由は、決まり文句ばかりが書かれているということだ。だから差出人の名前を確認作業でもするように一瞥するだけの場合が多い。これら決まり文句はしらけるものばかりだ。
「旧年中は大変お世話に」と書かれているが、一度も会ったことがなく、しかも世話らしきことをした覚えがないのに「格別のご厚情に」と書かれていたりする。まともに読めば読むほど、この悪習を恨みたい気分になってしまう。
これが手書きならまだ受け入れることができる。ところが印刷されただけのものに至っては、差出人の冷ややかささえ感じ、暗い気分になる。わざわざの儀礼が仇になっていることを本人は気付かないでいる。
自分の場合は、「お元気ですか」「お互いがんばろう」とかの手書きの一言を必ず入れることにしている。書く枚数が減った今は、すべて手書きである。恐ろしいほど字が下手クソではあるが、恥を忍んで書き続けている。
ここでカミさんがこの原稿を覗き込んできた。年賀状がテーマであることを知るや、「今年は出せませんよ」と念を押すように言ってきた。この8月に母が逝ったことを忘れていたわけではないが、年賀状との関係ではまだ頭になかった。11月中には年賀欠礼状を出さなければならない。こちらも定型文言はあるが手書きにしようと思う。
欠礼状の端に「お元気ですか」と書き添えたいのだが、ひんしゅくを買うのだろうか。