【街景寸考】日記のこと

 Date:2016年01月06日09時25分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 中学生の頃だったか、高校生の頃だったか。年末に、文房具屋に日記帳を買いに行ったことがあった。日記帳を買うのは初めてだった。というか、日記を書こうと思い立ったのも初めてのことだった。新しい年を迎えるにあたり、何かしら自分も奮起して真面目に生きてみようという気持ちになっていた。日記は大学ノートに書いていけばよいことだが、あえて日記帳を買うという行動で、この気持ちを形にしたかった。

 真面目に生きている人間は、日記を書いているというイメージがあった。そういう人間は社会的にも活躍をしているように思えた。つまり、社会的に活躍している人間は真面目な人間であり、真面目な人間は日記を書いていると思い込み、日記を書こうという気持ちになった。

 文房具屋で売っていた日記帳は書籍風のもので、単行本が一冊買えるくらいの値段だった。単行本は文字が詰まっているのに、なぜ白紙の頁しかない日記帳と値段があまり変わらないというのが不思議だった。それでも「日記を書く」という強い気持ちを形にするには買うしかなかった。

 元旦が来た。元旦が来たが、どんなことを日記帳に書いたらよいのか迷った。1ページ目ということもあり、その緊張感が邪魔をしていた。「元旦だから今年の抱負がいい」「三つほど具体的な目標を記そう」と考えたり、「いや、ここは冷静に元旦の出来事や心象を淡々と書いた方がよい」と考えたりしたが、定まらなかった。

 あれこれ考えていたら夜になっていた。蒲団の中でも日記帳と睨めっこをしていたが、結局、抱負から書くことにした。そう決断したまでは良かったが、浮かんでくる抱負はどれも実現不可能なものばかりだった。段々考えるのが面倒になり、少し休憩するつもりが眠り込んでしまっていた。

 正月2日目は、元旦の分を一緒に書いた。抱負は書かず、その日の出来事を4,5行書いただけだった。次の日は白紙のまま過ごし、その次の日は2日分を書こうとする自分が嫌になり、日記帳から目をそらせた。以降、日記を書いたことは一度もない。

 日記のことで忘れられない思い出がある。小さ目の大学ノートに書かれていた母の日記を盗み見たことがあった。たまたま開いた頁に「自分の息子には愛想が尽きた」と書いてあった。大学を出たのに定職に就かず、将来の見えない日々をダラダラと送っていたからだ。