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【街景寸考】国民的英雄、力道山がいた
Date:2016年01月20日08時01分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
昭和30年代に力道山というプロレスラーがいた。国民的な英雄だった。悪質な反則ばかりする憎たらしい外国人レスラーをやっつけた。素早く、華麗に技をかけ、リングマットに叩きつけた。技では敵わない外国人レスラーは凶暴になって力道山を拳で殴り、首を絞めたりした。レフリーが何度止めに入っても、直ぐまた繰り返した。
力道山の額に咬みつくレスラーがいた。確かブラッシーとかいう金髪のレスラーだった。この反則技で力道山の額からは血が噴き出て、顔が血で真っ赤に染まっていた。ここで力道山の怒りが爆発するのだった。観戦者が待ちに待っていた場面である。
怒った力道山が必殺の空手チョップを連発すると、大男たちはマットに崩れ落ちた。力道山は動けなくなった外国人レスラーを組み伏せ、両肩を押さえた。レフリーがそのそばで「ワン、ツー、スリー」と大声で叫びながらマットを三度叩くと、会場から大きな歓声があがるのだった。
テレビを見ている私たちも、同じように歓声をあげたかったが、そうはできない事情があった。他所の家の茶の間でテレビ観戦をしていたからだ。当時、テレビがまだ一般の家庭に普及していなかったので、プロレスのある日は、テレビを買っている家におじゃまをするというのが普通に見られる光景だった。
おじゃまをすることに何の遠慮もなかった。テレビのある家も、それが当然だというような迎え方をしてくれていた。だから全く知らない家でも、平気で茶の間に上がり込んだ。どこの家に行くかは子ども同士で情報交換し、お菓子を出してくれそうな家を選んだ。
力道山がヤクザに刺されて死んでからはプロレスを観なくなった。ほかにも強い日本人レスラーが育っていたようだったが、観る気が失せていた。力道山のときは真剣勝負のように見えたプロレスが、単なる八百長のようなショーにしか思えなくなっていた。どんなに凄い技も、適当に衝撃を加減しているのが分かると、尚更つまらなく見えた。
ずっと後になってから気付いたことがある。力道山は何で最初から空手チョップを使わなかったのだろうかと。最初から空手チョップを使っていれば、あんなに外国人レスラーから痛めつけられなくてよかったはずなのにと。それでも力道山の残像は消えてしまうことはなかった。あの強さを信じ続けたかった。