【街景寸考】「雨ニモマケズ」のこと

 Date:2016年01月27日08時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 小学4年生のとき学校で詩人・宮沢賢治の「雨ニモマケズ、風ニモマケズ」を暗記させられた。担任は全部暗記ができるまで許さなかった。まだ子どもだったので、それまでしてこの詩を暗記させることの意義を理解することができなかった。

 せいぜい理解できた箇所は、冒頭部分の「雨にも風にも雪にも夏の暑さにも負けない、丈夫な身体を持とう」というところと、東西南北に救いを求めている人がいれば、そこまで行って自己犠牲や献身の精神を実行しなければならない、というところだった。

 ただ、「南ニ死ニサウナヒトアレバ」の箇所では「行ッテコワガラナクテモイイトイヒ」という言葉に合点することができなかった。誰だって自分が死にそうなときは怖がらない者はいないはずなのに、そんな人の家までわざわざ乗り込んで行って、「怖くはありませんよ」と言うのはあまりにも非情ではないかと思ったからだ。

 暗記した「雨ニモマケズ」を、人生のところどころで思い出しては暗唱してみることがあった。大抵一行も忘れず言えることに、我ながらいつも感心していた。50年以上も前に無理やり暗記させられた詩であったが、大事にどこかの引き出しに納められているようである。暗唱するたびに、あのときの担任の先生に深く感謝する次第である。

 宮沢賢治がどういう人で、どういう生き方をしてきたのかは今も知らない。知っているのはこの詩だけである。大人になるにつれてこの詩の良さが分かり、この詩を作った宮沢賢治がいかに高等な人物であったかということが、段々理解できるようになった。

 「慾ハナク 決シテ怒ラズ イツモシズカニワラッテヰル」「ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズクニモサレズ サウイフモノニ ワタシハナリタイ」というくだりは特に凄さを感じる言葉だ。人間としてあるべき完成形が表現されているように思える。

 人はそれぞれに、一度は自分自身の理想の生き方を考えることがある。この詩は宮沢賢治としての理想の生き方を謳ったものに違いない。この詩に魅かれてきたのは、ある部分で似たような理想形を持っていたからだと思う。理想の言葉は自戒の言葉でもある。宮沢賢治も煩悩に苦しんでいた一人だったのかと想像すると、少し救われた気持ちになれた。

 と、こう書いてきたところで、またまた顔を覗かせたカミさんから「賢治さんの煩悩とアンタの煩悩を一緒にするな!」と一喝されてしまった。