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【街景寸考】考えるということ
Date:2016年03月16日08時01分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
カミさんのことである。先ほどからテレビを観ているものとばかり思っていたら、顔がテレビの方に向いているだけだった。視線の先は宙で止まり、姿勢は固まったままである。何も考えずにぼーっとしているようでもあり、何かに考えを集中しているようでもある。もしかして、亭主である自分に何か意見でもあるのだろうかと心配もしてみたが、そうした不満顔のある表情はどこにも現れてはいなかった。
「おい、大丈夫か」と聞いてみたら、突然起こされたときのように、目を丸くして少し驚いた様子だった。離れていた魂が元の身体に戻ってきたような感じだった。「少し考え事をしていたの」という返事だった。どんなことを考えていたのかは敢えて聞かなかったが、どうやら日常茶飯事のことだったらしく、安堵した。
このやり取りをカミさんとしながら、ふと思った。自分はカミさんのように宙を見ながら考え事をしたことがあっただろうかと。余程の心配事は別として、仕事上のことや日常茶飯事のことでは、固まったままの姿勢で考え事をするような性格ではない。
17世紀、「人間は考える葦である」と言ったのは思想家パスカルだ。葦は自然の中で最も弱いもの。そういう意味では人間も自然界では弱い生き物だが、考えることで人間の偉大さをつくってきた、というような意味であるらしかった。
この意味を理解できないことはないが、ここでいう「考える」というのが、「思い巡らす」「深く考える」「考え抜く」というような意味であるとするなら、自分はやはり「考える」ことをしない種類の人間だと言わなければならない。
自分の場合、「考える」とは「反応する」とか「思う」とかの感覚に近い。パソコンに記憶したデータをアウトプットするような感覚だ。考えるのではなく、単に思っていることをそのまま表現したり判断したりするという傾向が自分にはある。今書いているこの文章もそうだ。推敲することはほとんどない。というより、したくない。
じっと考えることが好きではない性格だ。我が人生、これまで「思いつき」や「思いのまま」に判断し、軽々しく行動してきた。いわゆる、場当たり的に生きてきた。小学生の頃、通信簿に「おっちょこちょいの性格あり」とよく書かれていたが、このことと関係があるように思う。幾多の失敗を繰り返してきたのも、この性格のせいだ。
人生の大きな転換点にいたときぐらいは「思い巡らし、考え抜く」ことをしていたなら、今より少しは濃い人生になっていたかもしれない。