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【街景寸考】鼻たれ小僧がいた
Date:2016年04月13日09時02分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
昭和30年代、生まれ育った川崎町の炭住(炭坑長屋)には、青ばなを垂らした子どもがたくさんいた。いわゆる鼻たれ小僧のことだ。青ばながなぜ出てくるのかを大人から聞いたことはなかったが、何かの病気の症状ではないように思えた。実際、彼らは元気な腕白坊主だった。
鼻たれ小僧と一緒に遊んではいたが、青ばなが目に入るたびに「汚らしさ」を感じていた。いかにもねっとりとした黄緑色の細長い鼻汁が不気味に見えた。取っ組み合って遊ばなければならないときは、自分の身体や服に着かないよう神経を使っていた。
喧嘩をしたときなどは鼻たれ小僧のことを「鼻たれ!」と叫んで、はやし立てた。はやし立てると、青ばなを一気に吸い込んで鼻の奥に隠した。山ミミズほどもあるような長い青ばなを垂らしていた場合も、途中で切らすことなく、高速エレベーターのように上昇させ、吸い込んだ。それを見るたび、青ばなの粘液力に驚き、感心したものだ。
青ばなをペロペロと舐めることもあった。青ばなは塩っ気が効いているのでペロペロが癖になるのも理解できた。学生服の袖口で青ばなを拭う光景も多く見られた。袖口がいつもテカテカに光っていたのを憶えている。
小学校の高学年になると、いつの間にか鼻たれ小僧の青ばなが消えていた。思春期の心理と何か関係があったのか、あるいは成長に伴い強くなった免疫抗体と関係があったのか、はっきりした理由は未だに分からない。
昭和40年代に入ってからは、低学年でも鼻たれ小僧はいなくなっていた。衛生環境や栄養状態が良くなったのが原因のようだった。青ばなが消えていくのは構わなかったが、腕白坊主までが同時に消えていくことに釈然としない思いがあった。
かつての日本人の良さ、日本社会の良さは、間違いなく腕白坊主を経験した大人たちによって形作られていたという思いがある。今、昭和の時代にいた腕白坊主が見られなくなった。塾に通って勉強漬けになり、自分の部屋で電子ゲームにのめり込み、大人に管理されながらスポーツをする子どもたちばかりになったようだ。
日本の未来をどちらの子どもに託したらよいかは、答えるまでもない。腕白坊主にまた戻ってきてもらうためには、どういうお膳立てをしたらいいのだろうか。