【街景寸考】熊本の友人のこと

 Date:2016年05月04日08時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 若い頃、熊本市で2年ほど働いていたことがある。同市は全国有数の水の都でもある。あちこちに美しい湧水が点在し、江津湖も水前寺公園の池も湧水が溜まったものだ。地下水の水量も半端ではない。同市の人口約73万人の飲み水がこの地下水で賄われている。そんな都市は他にない。

 だからその水道水は、お世辞抜きに美味しい。一般に水道水は大なり小なり塩素臭がするものだ。熊本市の水道水はそれがまったくない。どこの水道の蛇口をひねっても天然水のような水が出てくる。当然ながら夏は冷たく、冬の朝でも温水を使うことなく平気で顔を洗うことができる。この辺が他都市と大きく違う点だ。

 その熊本市や隣接する益城町が大きな地震に見舞われた。それも立て続けに起きたことが被害をさらに大きくしたようだ。熊本城の近くに住んでいる友人夫婦に電話をしてみた。携帯電話を手にするまでに、少し心の準備を要した。もし被災程度が相当に大きかった場合、自分はどこまで支援できるのだろうかと考えたからだ。それと、ただのお愛想だけで電話をしようとしているのではないかという自問もあった。

 いつもの自分を装った口調で電話をしたら、幸いにも元気そうな声が返ってきた。自宅は多少のひび割れ程度の被害だったようだ。しかし、電気は復旧していたが、上下水はまだ止まったままだという。用足しをするのに、敷地内にある下水枡の蓋を取り、その穴を跨いで和式風にしているらしかった。もちろん他人の目があるので夜を待ってのことだ。

 一番困っているのは車中泊が続いているということだった。余震が続いているので、家の中では安眠ができないのだ。かといって、車中泊でも安眠ができるわけではない。この状態が長く続けば疲れやストレスで、身体も精神も悲鳴を上げるに違いない。エコノミークラス症候群の心配もある。

 自然災害だからとはいえ、大きなダメージを蒙った被災者には「仕方がない」という割り切った思いをすることはできない。しかし、「仕方がない」という潔さがなければ前に進む力が湧いてこないのも事実だ。悔やめば再起の力は萎え、前に進めなくなる。

 「心配ないよ。ありがとう」。しばらく話をした後、彼は元気な声のまま電話を切った。逆に彼から気遣ってもらう電話になってしまった。