【街景寸考】「ホラ吹き男」に憧れて

 Date:2016年05月18日08時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 小さい頃、大人になったらバスの運転士になりたいと思っていた。あの大きな車体を簡単に操作している運転士が、何か地球上で特別の存在のように見えた。バスに乗ったときは運転手の手や足の動きを見るのが楽しみだった。特に発車するときや停車するときは、目を凝らして見ていた。

 そうやって何度も操作するところを見ていたら、バスを運転している夢をたびたび見るようになった。ハンドルを握る自分は、すこぶる緊張し、興奮していた。広くて大きなフロントガラスの向こうに、バス通りの賑やかな景色が見えた。夢の中でも夢を見ている感じだった。

 小学校高学年の頃になるとバスの運転士のことはすっかり消え去っていた。その後はプロ野球選手や歌手や体育の先生になりたいと思ったりしたが、どれも本気になったような憶えはない。中3になった頃には、自分がどんな仕事に向いているのかが分からず、やってみたい仕事もまるきり浮かんでこなかった。そういうことだったので、まだ進学か就職かをはっきり決めることができずにいた。

 丁度この頃、2本の映画を観た。フランキー堺が主演する「末は博士か大臣か」と、植木等が主演する「日本一のホラ吹き男」という映画だ。前者は作家・菊池寛が小説家として大成する物語であり、後者はサラリーマンが調子の良い処世術で出世していくというものだ。

 これらの映画を観た後、大志を抱いて大物の人生を目指すのか、それとも気楽にサラリーマンとして生きていくのかを考えた。大物になる人生も捨てがたかったが、自分の性格や能力を考えるとサラリーマンの方を選ぶしかないと考えた。植木等がこの頃歌っていた「スーダラ節」や「だまって俺について来い」という人生歌も、この選択に弾みをつけてくれた。

 サラリーマンになるためには、とりあえず普通高校へ進んでおいた方がよいと考えた。高3になっても具体的な将来像を描くことができなかったので、新聞配達をしながら大学に行くことにした。思いつきだった。植木等のようなサラリーマンになるために文系の学部を受けた。数学がまるきりできなかったので理系の選択肢はなかった。

 ところが30歳になるまで「普通のサラリーマン」になることができず、毎日のようにあがいていた。自分の大雑把な人生に対する祟りだと思ったこともあった。それでも、所帯を持ってからは「普通のサラリーマン」人生を何とか送ることができるようになった。家族のお陰だと言わざるを得ない。