【街景寸考】集団間での睨み合い

 Date:2016年05月25日08時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 小学1年生の頃、休み時間になると廊下で隣のクラスの男子と睨み合うことがあった。ときには睨み合いが高じて小競り合いになったこともあった。双方7,8人くらいまでの数になると、お互い自然に敵がい心がもたげてきた。生意気な生徒が隣のクラスにいるというわけでもないのに、そうなった。

 中学生になると同学年に不良グループが幾つかできた。感情が高ぶっている祭りの夜などに正面から向かい合ったときは、どちらかのグループが因縁をつけた。お互い不良グループとしてのプライドがあるので、相手方を避けて道の端っこを通るわけにはいかない。
 まずグループの先頭にいるリーダー格が「貴様たちゃあ、なんが俺たちに眼(がん)飛ばしようとや」と口火を切る。相手グループのリーダー格も負けずに虚勢を張り、「貴様たっちゃあ、俺たちになん喧嘩売りよーとか」と言って睨み返す。しばらくはそのまま睨み合っているが、大抵の場合、双方面子を保ちながら離れた。

 集団同士が出くわしたときに敵がい心がもたげてくる例はほかにもある。運動会の棒倒しのときに発生する喧嘩もそうだし、暴走族同士の乱闘なんかも同質のものだ。前線にいる兵士たちが、ただ敵兵というだけで憎しみを持ち、殺してしまう行為も。そして他人種へのヘイトスピーチなんかもそうかもしれない。

 集団間のときにだけに生じるこの愚行は、一体どこからもたげてきているのだろうか。思うに、原始の時代から小集落間で繰り返し争われてきた歴史の中で、種を保存するためにこの敵がい心が遺伝子に組み込まれたのではないか。この本能のような敵がい心が集団同士で出くわしたときに敵だと錯覚し、もたげてくるのではないかと考える。

 中学時代に睨み合いをした相手グループにいた一人と、たまたま同じ高校になった。彼とはクラブの部室が隣り合わせだったので、あいさつをする間柄になった。かつてはお互い睨み合った者同士だったということを、彼はまったく覚えていない様子だった。

 集団間に生じるこの敵がい心は、もはや現代社会では不要なものでしかない。人間は何の実体もない敵に向かって、実際愚行に走ってしまう動物であるということを、知っていなければならない。