【街景寸考】お笑い芸人のこと

 Date:2016年06月01日08時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 お笑い芸人が、やたらもてはやされている。お笑い芸は昔からあったが、今は供給過剰のように思える。メディアの発達がこうした現象を大きくしてきたと言える。人間はバカ笑いをしたいという欲求を持っているようだ。だから滑稽な仕草や物言いで笑わせてくれる人の周りに、人は集まってくる。それを代表するのがお笑い芸人だ。

 ところが今のお笑い芸人は、人気が出てくると本職の芸だけに留まろうとしない傾向がある。お呼びがかかれば、テレビのバラエティ番組のゲストや司会役などを引き受け、節操なく登場しているように見える。いわゆるマルチタレント化である。マルチ化することで色々な能力を発揮する機会が増え、ギャラも余分に稼ぐことができる。

 こうした風潮が悪いことだと言うことはできないが、お笑いという芸にこだわりたい自分のような人間にとっては、面白くない。芸が一流であればあるほど、マルチ化することにより芸がぼけ、色あせて見えてくる。芸の質が落ちているわけではないが、ノイズが入っているように聞こえてくる感じになる。

 以前、テレビで先輩漫才師が後輩漫才師を指導する様子が放映されていたが、実に嫌な気分にさせられた。先輩は後輩を厳しく叱り、こき下ろし、罵倒していた。いつも滑稽な漫才を見せてくれていた印象とは、全く違って見えた。これが稽古場や楽屋裏でのことだったら理解できるが、テレビでわざわざ見せるものではない。これ以降、彼らのお笑い芸がどこか妙味が薄れて見えるようになった。

 子どもだった頃、お笑い芸人の代表格には花菱アチャコ、横山エンタツ、柳家金語楼、三木のり平などがいた。その滑稽なお笑い芸を見ながら、彼らは本当にアホで間抜けな人間なのではないかと思っていた。演芸場以外の場で別の顔を見せることがなかったからだ。

 お笑い芸ではないが、芸一筋という意味では高倉健や渥美清のような役者もそうだった。銀幕で見る印象以外に別の顔を知らなかった。原節子もそうだ。清楚で貞淑な女性の印象があったが、実は豪放らい落な性格だということを知っていたなら、映画「晩春」や「東京物語」のヒロイン「紀子」の印象は違って見えたはずだ。

 芸一筋に生きたからこそ、役者として名声を博するまでになった。