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【街景寸考】ひねくれも元気の元に
Date:2016年06月08日08時01分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
小学校5、6年生の頃、放課後は毎日のように教室に残され、担任から長々と叱られていた。授業を妨げるような悪さをしているという認識はあったが、自分がなぜそういう悪さをするのかということまでは分からなかった。相当にひねくれていた。当時はそのひねくれの原因がどこからきているのか分かるはずもなかった。今にして思えば心当たりはあるが、ここでは触れないでおく。
その後もこのひねくれた状態は続き、自分の性格の一部になっていったようだ。この性格は大人になってからも顔を出すことがあった。特に権力を笠に着て威張っている上役などに対しては、牙をむき、睨みつけ、吠えた。家族を養っていくべき立場にある者としては、その資質に欠けていたと言わざるを得ない。
反面、部下や年下の者には「好い人」を演じてきた。上司面や先輩面をすることもほとんどなかった。部下が仕事のミスをしても叱ることができず、大した仕事をしたわけではない場合でも大いに誉めた。生意気な物言いをされても、ひねくれた性分が部下の前で表面化することはなかった。
こういうふうに言えば「強きをくじき、弱きを助く」というような人間に思われるかもしれないが、そうではなかった。部下を育てるということに、関心が薄かっただけのように思う。部下は上司の背中を見ながら勝手に育つものだと思っていた。それで成長できない部下は、元々仕事の能力がない人間だと決めつけていたように思う。
かつては、ひねくれた性分も元気の一部になっていたが、その辺の性分も段々衰えてきたようだ。人間が丸くなったと知人から言われることもあるが、その言葉を素直に受け入れたことはない。老化が進んできただけであると言える。自身が高齢になったということで、周囲に威張る人間がいなくなってきたという変化も要因にありそうだ。
もっとも家庭内においては、事情は異なる。カミさんという権力のような壁が立ちはだかっているので、ひねくれた性分を何とか維持できている。何かにつけ亭主の意見を切ったり、反論したりしてくるのだ。この確執でエネルギーが生じ、言い合いになれば学生時代に培った反権力も目覚めたりする。お陰で、これが元気の元になっている。