【街景寸考】高過ぎだぞ、ランドセル

 Date:2016年06月15日08時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 ランドセルの値段が高すぎやしないか。売れ筋で4、5万円くらいすると聞く。安めのものでも3万円台というから驚く。まだ品質の良し悪しの分からない6歳の子どもに、こんな高価なものを買ってやる必要が本当にあるのだろうか。

 値段が高いということもあって、ジイジやバアバが入学のお祝いとして買ってやる場合が多く見られる。中には買ってやることが困難なジイジ、バアバもいるはずだが、生活費を削りながら何とか買ってやっているという話も聞く。

 高価なランドセルが流行したわけを辿ると、明治時代の「学習院型ランドセル」に遡る。当時総理大臣だった伊藤博文が、学習院初等科に入学する皇太子へのお祝いとして、革製・箱型の鞄を献上したことに始まるらしい。以後、都市部の裕福層で使われるようになり、いつの頃からかどの子も背負うようになった。

 昔から庶民は、上流階層が行ってきた伝統行事や生活様式を真似たがった。ランドセル文化もその一つだと言える。真似ることに大した意味や価値があるわけではないことでも、家の格調・格式を少しでも高く見せようとしてきた。日本人にはそうした傾向があるようだ。

 今やランドセルを背負わすことが、家の格調・格式とつながるようなことはないが、親の強い気持ちがそうさせている。自分の子供に恥ずかしい思いはさせたくない、という気持ちからである。

 子どもたちがランドセルを背負い、揃って登校する光景は可愛らしくもあるが、見様によっては痛々しく見えることがある。多様化、個性化の時代と言いながら、これとはほど遠い悪習になっているということを知る必要がある。このことについて教育委員会や学校側はどのような見識を持っているのだろうかと思う。

 1月の成人式で女性たちが着る振袖も当たり前の光景になっている。この振袖が親に大きな負担をかけるという理由から、8月のお盆の日に切り換えた自治体が一部にある。ランドセルもこれと同じような切り換えができないものなのか。本物の革製ではなく、合成皮革でもよいではないか。ランドセルに替わる安価な鞄や袋類でもよい。

 高価なランドセルが当たり前という「右へ倣え」の不条理に、物申しておきたかった。数年したら孫娘が順次7人小学生になるという事情もある。