【街景寸考】若き日の出会い

 Date:2016年06月22日08時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 仕事の関係で松下竜一氏と一度だけ会ったことがある。会ったのは豊前市にある同氏の自宅だった。30数年も前のことだ。同氏は、家業の豆腐を作りながら歌集「豆腐屋の四季」で文壇デビューをした作家である。当時、これが評判となりテレビの連続ドラマにもなった。

 その他の作品では、反公害や反開発、反権力を貫いた人たちに焦点をあてたノンフィクション物が多いのが特徴だ。自らも豊前火力発電所の建設反対運動に身を投じ、環境権を訴え続けた活動家でもあった。

 初めて会ったときの同氏の印象は強烈だった。それまでの自分の知っていた人間とは、大分異なっているように見えた。自分もまだ若かったので、同氏の人となりを表面的にしか見ることができなかったが、ここではそのときに感じたままの印象を簡略に描いてみる。

 広めの上がりがまちに顔を見せた同氏は、土間にいる私を少し見おろすような恰好で出迎えた。愛想らしき表情はなかった。愛想を作るようにも見えなかった。小柄だが、大きな目をしているというのが最初の印象だった。人の心の内を射抜くような視線を感じ、たじろぐしかなかった。一瞬にして同氏に凄味を感じていた。

 同氏に何かを話しかけても、尋ねても短い言葉しか返ってこなかった。そうした話し振りは、同氏の強い意志からのように思えた。こちらが何も話しかけなければ、ずっと無言のまま向き合うことになりかねない空気感があった。

 「ただの興味本位で訪れた者とは、あまり話はしたくない」。そう無言で言われているような気がした。「豆腐屋の四季」の感想をしどろもどろに言うと、これもまた無言で「そんな話で時間を費やしたくない」と言われたようにも思えた。

 作家にはこういう類の人が多いのかもしれないとも思った。真実を知ろうとする探求心を持ち、自分自身の生き方に厳しく、命を削りながら自分の思いを表現する、というのが作家に共通した性質なのかもしれないとも思った。

 こうした性質らしきものが無表情の顔から放たれていたので、なおさら同氏に凄味を感じたのかもしれない。愛想がないように見えたのは、素のままに生きているからだとも思った。いかに自分がいい加減に生きているかを思い知らされる出会いになった。

 同氏は12年前、67歳で亡くなられた。初対面のときの、あの大きな目が浮かんでくる。