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【街景寸考】「リンゴの唄」
Date:2016年06月29日08時01分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
生まれたのが昭和24年だから、終戦後の焼け跡のことも食料難のことも知らない。戦争の怖さや悲惨さについても、知らないままに大人になった。学生時代、「戦争を知らない子どもたち」というフォークソングが流行し、自分も仲間たちと声を張り上げて歌ったものだ。戦争を知らない世代が、平和な時代であることを謳歌するように歌っていたように思う。
自分がまだ小さかった頃、亡くなった母が「リンゴの唄」を口ずさんでいるのを耳にしたことがあった。「リンゴの唄」は戦後最初にヒットした歌謡曲だ。並木路子の明るく爽やかな歌声は、戦争の傷跡から再出発しようとしていた人々の心に染みて行ったに違いない。
社会人になってからの自分は、「戦争を知らない子どもたち」を口ずさむことはほとんどなかった。歌う機会があったとしても、平和を謳歌する気分で歌うことはできない気がした。学生時代も、平和を謳歌しながら歌っていたように思えたが、実は単に若さを謳歌していただけだったのではないかと思うようになった。
戦争を知らない自分の場合、知らないがゆえに平和の喜びを本当に噛みしめることはできないできた。「リンゴの唄」を生涯口ずさんでいた母の場合とは、この辺が大きく違うところだ。旧満州から死にもの狂いで引き揚げてきた母は、93歳で亡くなるまで平和であることのありがたさに感謝してきたように思う。
現在の平和日本は黄ばんで淀み、異臭さえ放っているように感じることがある。平和のありがたさを喜び、噛みしめながら生きてきた人々のほとんどは亡くなり、今が平和であることさえあまり分からない人々が、多くを占めるようになってきたからだ。
格差は広がり、経済に縛られ、孤独化し、将来に希望を持てない人々が増えている状況下で、「平和な社会」を享受しようとする意志を失っているように思う。そこには、共に共感できる喜びももちろんない。平和の意味を真剣に考えてこなかったつけが回ってきたと言えるのかもしれない。
「リンゴの唄」に元気づけられた人々には、共に生き、共にがんばろうという共感があり、その喜びがあった。日本人が平和であることに感謝し、輝いて生きて行くには、今何をどうしたらよいのかを考えなければならない、大切な時期にある。