【街景寸考】母の家を解体

 Date:2016年07月06日08時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 「母が住んでいた家」を取り壊すことにした。老朽化し、屋根瓦の傷みもひどくなっていたからだ。壊れた瓦が落ち、隣地に迷惑もかけているようだった。元々借家だったのを15年ほど前に家主の勧めもあって母が買った家である。合わせると41年間、母はこの家で暮らしたことになる。

 「母が住んでいた家」というふうに書いたのは、自分が生まれた家ではなかったからだ。せめて幼い頃から自分が過ごしてきた家だったら、「実家」と書けたように思う。自分と母の家とはそういう関係だったので、少なくとも独身の頃までは「実家」のような思い入れを持たずにきた。元々が借家だったということも関係しているのかもしれない。

 ところが、結婚して子どもたちが生まれてから、その見方は変わってきた。母は孫たちを可愛がり、子どもたちも「おばあちゃん家(チ)」に行くことをとても楽しみにしてきたからだ。子どもたちにとっては「故郷」に帰省するような気持ちに近かったのではないか。

 妙なもので、子どもたちが母の家に強い愛着を持つようになると、自分もそうした思いを持つようになってきた。自分の子どもたちの思いもこもった家であれば、当然そうなる。

 「おばあちゃんの家をもう一度見ておきたい」そう長男が言った。そうした言葉を予期してはいなかったので少し驚いたが、長男の母への気持ちを改めて知り、嬉しく思った。

 解体の前に母の遺品を整理しておく必要があった。解体業者からは廃棄物はできるだけ分別しておいてほしいという要望もあった。遺品整理と廃棄物の分別を行うため、母のいない家に何回も通うことになった。カビ臭さとほこりが舞う中で、汗をかきながらカミさんと片づけ作業を行った。

 渋々片づけている自分とは違い、カミさんは気合を入れてテキパキと動いた。その動きを見ながら、息子である自分よりカミさんの方が、いつも母に寄り添ってくれていたことを思い起こした。その情景がいくつも浮かんでくると、苦笑するしかなかった。

 こまごまとした台所用品から、家具、電化製品、蒲団、母が詩吟の大会でもらった賞状等々を片づけているとき、そのどれにも母の面影が重なって胸がつまった。同時に、母のせわしない動きや、はしゃぐような笑顔を想い出し、悲しみをそっとこらえていた。

 これからは母の家がないまま母を偲ぶことになる。家の記憶をしっかり留めておきたい。