【街景寸考】「おおっ、見えるぞ、見える」

 Date:2016年07月13日08時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 炭住長屋に風呂はなかったが、炭鉱が運営する大きな共同浴場があった。小学校1年生の頃までは祖母に連れられて、毎日のようにこの共同浴場へ行っていた。祖母は私を立たせたまま身体の隅々まで丹念に洗い、洗った後も強めに絞ったタオルでゴシゴシと垢を落とした。仕上げのお湯をかけられると全身がヒリヒリした。

 ある日、私はこのヒリヒリから逃れようと、祖母の元から一目散に駆けだしたことがあった。湯船の周りを跳ねるように走っていたら、石鹸水が溜まっているところで足を滑らせて転んでしまった。「あっ」という声を出す間もなく、後頭部をしたたか打っていた。頭がボールのようにバウンドしたらしい。

 それを見ていた祖母は「バカになってもいいから、命だけは・・」と、このとき強く念じたようだった。自分が理数系や機械、電子関係に並外れて弱いのは、このときの衝撃が原因だったのではないかと、ときどき思ってきた。

 小学校2年生になってからは、女湯に行く機会が極端に減ってきた。同じ年頃の男の子たちが男湯の方に行っていたからだ。彼らが女湯に行かない理由はよく分からなかったが、男の子だから男湯に行くということに何の反論もできなかった。それに男湯に行けば、みんなで湯船に飛び込んだり、泳いだりする楽しみがあることを知ることができた。

 男湯では中学生と一緒になることもあった。いかにも上級生らしい彼らの話は面白かった。あるとき、中学生は風呂の帰りに私たち小学生2,3人を引き連れ、女湯の裏手に向かったことがあった。辺りはすでに日が落ちて暗くなっていた。

 中学生は高窓のある板壁の前まで来ると、器用によじ登り始めた。その窓のところに顔が届くと、へばりついたままになった。巨大な蜘蛛のように見えた。彼は少しでも長く留まろうと、必死の形相で踏ん張っていた。

 「おおっ、見えるぞ、見える」興奮を抑えた声だった。まだ8歳の自分には、このときの中学生の心理を理解できるはずもなかった。何しろ、つい最近までは堂々と女湯に入っていた身であり、混雑する脱衣所では祖母だと勘違いして、知らないおねえさんの尻をわしづかみにした身でもあったのだ。

 炭坑の共同浴場での想い出はまだまだたくさんある。これはそのひとコマである。