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【街景寸考】牛乳屋の寮のこと
Date:2016年09月07日08時01分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
学生時代、1年ほど住込みで牛乳配達をしたことがある。その牛乳屋は中央線・阿佐ヶ谷駅に近いアーケード商店街の一角にあった。住込みを決めたのは、家賃の心配をする必要がないし、朝・夕は確実に食事にありつけるというのが理由だった。
牛乳屋の寮は、今風で言えばカプセルホテルのような空間がベニア板で仕切られて15部屋あった。座れば頭がつかえるくらいの高さしかなかったので、パンツやズボンは座ったまま穿かなければならなかった。大きめの棺桶を想像してもらったらいい。
初めてその棺桶に入ったときのことだ。膝を折って四つん這いになったまま前に進むと、奥は明かりを取る小さな小窓になっていた。うつ伏せになったまま小窓を開けてみると、甍の波が広がっていた。
わたしは「ヘーェ、いいところですねぇ」と思わず呟いた。後日、寮の先輩の誰だったかは思い出せないが、「これまで色々な奴が来たけど、このひどいタコ部屋にきて『いいところだなぁ』と言ったのはあんたが初めてだ」と言われた。
この寮には自分のほかに4人の配達員が住込んでいた。入口から直ぐのところの部屋は、名前は忘れたが30歳前後の先輩がいた。彼は賞味期限切れの舟木一夫の曲をいつも歌っていた。その自分の歌声を録音して、テープレコーダーで轟かせながら街中を歩き回っている人だった。プロのスカウトから声をかけられるのを期待していたのかもしれない。
その隣がわたしの部屋になり、次の部屋はヨシダさんという中央大学の3回生がいた。いつも物静かだったが、話しかければ好意を示してくれていた。その次がアベさんの部屋だった。高校卒業後、生まれ育った石巻市で働いていたが、司法書士の資格試験を目指して上京してきた人だった。このアベさんの人懐こい性格のお陰で、この棺桶のような寮でも暮らしていけそうな気持ちになることができた。
一番奥の部屋は熊本出身のトキトウくんがいた。まだ20歳だった。競輪選手を目指しているということだったが、どう具体的に目指しているのか分からなかった。寮にきた当初は、他人を寄せつけないような頑なな素振りをしていたが、次第に心を通わせてくれるようになった。
ときどきわたしの部屋に3、4人が窮屈ながらも集まって、競輪君のギターに合わせて「七つの水仙」などのフォークソングを一緒に歌うことがあった。牛乳屋を辞めた後も、アベさんやヨシダさんとはときどき交流が続いていたが、いつの間にか途絶えてしまった。自分のせいで途絶えたわけではないが、今でも「ごめんなさい」と、ふと思ってしまうことがある。皆、懸命に生きようとしていたのだと、改めて思う。