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【街景寸考】小さな葬儀を
Date:2016年10月26日08時01分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
自分が死んだときは、小さな葬儀をしてもらいたいと願っている。昨年亡くなった母は、その葬儀さえも望んではいなかった。隣町にある見慣れた葬儀社の前を車で通るたびに、「私が死んだら葬式なんかせんで、火葬場に直接連れて行ったらいいから。必ずそうしなさいよ」と、母は念を押すような口ぶりでそう言っていた。
家族だけが集まる小さな葬儀を願うのは、自分のことで友人、知人に気を遣わせたくないからだ。死の知らせは急なものなので、わざわざ会葬にきてもらうのは気の毒だという思いがある。自宅にいながら手を合せてもらうだけでも十分満足である。それに、こぢんまりと家族に囲まれて執り行われる葬儀の方が、温もりがあっていい。
棺は白木だけで造られた簡単なものがいい。表面が布張りで仰々しくデザインされているものが一般的なようだが、あれはあまり好きではない。手彫りの彫刻をあしらったような高価な棺は、もっと嫌である。できるだけ身軽なまま旅立っていきたいからだ。
出棺前に白木の棺に家族が寄せ書きをするというのはどうか。「お父さん、千の風になって吹きわたってください」「ジイジ、色々笑わせてくれてありがとう」「天国に行っても野球の練習は怠らないで」等々と。こんな別れの言葉が棺にいっぱい書かれたら、どんなに良い気分になるだろうかと思う。この考えは、いけそうな気がする。
霊柩車は、地味な黒いバン型のものがいい。近年はこのタイプが多くなってきたのは良いことである。以前は金ぴかの彫刻や彫金で飾られた霊柩車が多かった。まだ小さかった頃、この「走る黄金の神社仏閣」を街中で見たときは、思わず歓声を上げたこともあったが、その後、死んだ人を運ぶ車であるということを知ってからは、忌み嫌うようになった。
自分が死んだ場合の提案が、もうひとつある。
霊柩車が葬儀場から火葬場へ直行するというのは、いかにもつまらない。最近では故人の暮らしていた自宅の前を経由する場合もあるようだが、できることなら生前よく歩いていた散歩コースや野球をしていたグラウンドの近く、カミさんとよく一緒に行ったスーパーの前を経由してくれたら有難く思う。
主役は、あくまで死者であることを忘れてはいけない。