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【街景寸考】薄らいできた正月らしさ
Date:2017年01月11日08時01分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
新しい年が明けた。元旦は夫婦で静かに過ごし、2日目は子どもたち家族が勢揃いして大いに賑わった。一堂に会して賑わうのが我が家の正月らしさだと言えなくもない。戸外での正月らしさを垣間見るに、初詣で人々が集まる神社、寺院を除けば普段の風景と変わらなくなった。二日目を待たずに元旦から店舗を開けるところも多く見られるようになった。
少なくても昭和30年代までの正月は、家々に日の丸の旗が掲げられ、戸外では和服を着た女性たちの華やぐ姿が見られた。お年玉をポケットに入れて駄菓子屋へ向かう子どもたちや、普段は鉱夫姿の男たちもパリッとした背広姿で年始回りをする光景もあちこちで見ることができた。どの顔も清々しく、いかにも正月風の澄んだ表情をしていた。
どこの家庭もおせち料理を作っていた。多くの国民がまだ貧しかった時代、おせち料理は年に一度の贅沢な御馳走だった。正月気分の大半は、家族みんなでおせち料理を食べているときだった。最近は暮らしが豊かになってきたせいか、おせち料理を外注する家庭もあれば、雑煮くらいにとどめ、あとは普段の食事をするという家庭も増えてきたように思う。
「お正月」という童謡も、商店街から聞こえてくるコマーシャルソングでしかなくなった。この歌詞の中にある凧揚げやコマ回し、あるいは毬つきや羽根つきをして遊ぶ子どもたちの様子も見なくなって久しい。伝統や風習として引き継がれてきた正月らしさが、確実に薄らいでいる。こうした変化は、加速化する都市の匿名性や近隣コミュニティの弱体化、家族の孤立化などの流れと無関係ではないはずだ。
いずれにしても、これまでの伝統や風習にこだわらない人たちが増えてきているのは間違いない。昔、藪入りという言葉があった。商家に住込みの奉公人たちが実家に帰り、正月の15日だけ家族揃って過ごすことができたという風習だ。奉公人とその家族にとって喜びが溢れる特別な日だったと言える。
当時の世相の良し悪しは別として、家族それぞれが新たな気持ちで新年を迎え、改めて家族の絆を強くするという正月だったことが十分想像できる。今さら語る話ではないが、一度文章にしてみたかった。