【街景寸考】アメリカという国

 Date:2017年02月01日08時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 トランプ氏がアメリカ合衆国の新大統領に選ばれた。多分にメディアの影響を受けているせいか、あまり好きになれないタイプである。好き嫌いを抜きにしても、その表情や喋り方はあまりにも俗物的であり、とても一国の大統領としての高い理念や志を持っているふうには見えない。

 そのトランプ氏を、半数近いアメリカ人が支持しているという現実に、驚かされた。彼の政治家としての考え方や発言の良し悪しについては門外漢なので、評価する能力はわたしにはない。しかし、人の品性を見極める勘ぐらい少しはある。

 トランプ報道を見ていたら、改めてアメリカ人の民度について考えさせられた。民度とは、知的水準や文化水準、行動様式などの成熟度を表す言葉である。その民度、特に民主主義の成熟度においては、わたしがそれまで抱いていたアメリカ人とトランプ氏やその支持者のものとは大きな開きがあるように思えた。

 民主主義の成熟度というのは、歴史の上に着実に積み重ねられていくもので、退化するものだとは思っていなかった。ところが、今回のトランプ現象を見る限り、それが社会の変化に伴って高下していくものなのかと思い直した。

 トランプ氏が大統領に就任した日、トランプ支持者によるマイノリティへのヘイトクライムが各地で起こったという。こうした現象は、彼が大統領選挙で勝利した昨年11月8日以降から増えてきているということも知った。黒人、ヒスパニック、イスラム教徒等への差別意識が強まって行くアメリカを、今さら見たくはない。

 トランプ報道で頭に浮かんできたことがまだある。1960年代まで盛んだった西部劇映画のことだ。西部劇といえば、アメリカの西部開拓時代を舞台に、白人の主人公がインディアンをやっつけるという筋書きが多かった。白人が正義でインディアンが悪であるという勧善懲悪型の映画だった。その後、公民権運動が活発になってきてから急速に廃れていくという経緯があった。

 ところが、このトランプ氏の登場により、再びかつての西部劇の筋書きに後戻りしそうな気配を感じなくはない。彼が言う「偉大なアメリカを取り戻す」という言葉が、その辺と重なるからだ。わたしの勘違いであれば、それに越したことはない。