【街景寸考】「青春の門」のこと

 Date:2017年02月08日08時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 五木寛之氏の代表作「青春の門」が、再び週刊誌で連載されることになった。連載を中断してから23年ぶりのことだという。わたしがこの小説を読んだのは学生時代であり、筑豊篇と自立篇を読んだきりだった。その後も放浪篇、堕落篇、望郷篇と続刊されたのは知っていたが、読まずにきた。望郷篇という字面から、これが完結篇だと勝手に思い込んでいたが、今回のことで更に再起篇や挑戦篇もあることを知った。

 「青春の門」という小説を初めて知ったときのことを、今でもはっきり憶えている。同じ大学の友人が冷やかすような調子で、「お前をモデルにしたような小説があるぞ」と言って教えてくれたからだ。あらすじを訊くと、「同じ筑豊の炭鉱町を舞台にした小説だ」と、友人はそう答えただけだった。

 そのときはさして読んでみたいとは思わなかったが、筑豊を舞台にした小説だという点が頭の隅に引っかかったままだったので、ない金を出して買ってみた。読んでいくうちに、わたしと主人公の伊吹信介とが類似していたのは炭鉱町だけではなかった。

 母一人子一人の境遇だったこと、高校生になって野球部に入ったこと、同じ大学に進学したこと、貧乏学生として東京で居心地の悪い生活を続けたことも同じだった。

 違っていたのは、織江のような幼友達や、優しく見守ってくれる音楽の美人教師が、わたしの周りにいなかったことだった。この辺が現実と小説の違いで、ただの貧乏学生だったわたしから見れば、いかにも不公平のように思えた。それに、筑豊の風土と人情を象徴する「川筋気質」という性質においても、信介のそれは少し違っているように思えた。

 先日、テレビで五木氏が「青春の門」の連載再開について語っているところを見た。「連載休止の間でも、自分の頭の中で信介が勝手に話しかけてきたり、動いたりしているんですよ」という言葉や、「29歳の信介が、烏尾峠から田川の街をどんな思いで望むのかが楽しみです」という言葉が記憶に残った。信介がまだ29歳で登場するということも驚いた。

 筑豊篇のときは、信介はわたしより14歳年上に相当していたが、完結篇では信介がわたしより40歳も年下で登場することになる。この逆転した年齢差に少しは戸惑うが、筑豊への望郷の思いが双方にあり、ここでも信介との類似性がある。