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【街景寸考】元日本兵のこと
Date:2017年02月15日08時01分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
日本がアメリカと戦争をして負けたことを知ったのは、小学校低学年の頃だ。近所の上級生たちから、聞くとはなしに聞いて知ったことだった。まだ終戦から10年ほどしか経っていなかったのに、大昔の出来事のように思っていた。これは、子どもと大人の時間感覚の違いによるものだが、それに加え、わたしが暮らした炭鉱長屋には、戦争の後遺症を引きずった光景も気分も見られなかったからかもしれない。
だからというわけでもなかろうが、子どもたちはアメリカ軍の兵器を絵柄にしたパッチン(メンコ)を集めて、よく遊んでいた。アメリカ軍の兵器はどれも恰好よく、勇ましく描かれていた。それらの兵器が元敵国のものだという認識はあったが、わだかまりのような気持ちは少しもなかった。
ところが大人になってから、パッチンで遊んでいた頃のことを思い出すときには、懐かしさとは別の気持ちも加わった。当時の大人たちはどんな思いで、そのパッチンに描かれた兵器を見ていたのだろうかという気持ちである。特に、復員してきた元日本兵の人たちのことが頭に浮かんできた。
自分たちが子どもの頃は、近くに元日本兵がいるかもしれないと考えたことはなかったが、実際には幾人もいたはずだった。その彼らにとっての10数年前のことは、つい最近の出来事のように記憶されていたはずである。ところが彼らは、その出来事を一様に固く口を閉ざしていたのだということを、ずっと後になって知った。
戦中、戦後の物資不足で大いに苦労してきたことなどの話は、多くの大人たちから聞いてきた。旧満州から死にもの狂いで引き揚げてきたことも、玉砕により犬死同然のように命を落としていった多くの日本兵の話も、テレビ等で見聞きしてきた。見聞きしたことがなかったのは、元日本兵の人たちが旧占領地などでしてきた加害行為に関してのことである。
だからといって、そのことに不満があるわけではない。彼らとて同じ戦争の犠牲者であることには変わりはないからだ。しかも、彼らは戦争犠牲者としてだけではなく、加害者としての重い罪の意識を背負わされ続けてきた被害者でもある。
彼らは、すでに90歳前後になっている。懺悔をする機会がないまま旅立って逝かなければならない思いを察するに、何とも言うべき言葉が見つからない。
思うに、戦後この70年余りの中で、政府もメディアも先の戦争のことを、真摯に総括したことがあったのだろうか。