【街景寸考】「人は見た目」のこと

 Date:2017年02月22日08時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 「人を見た目で判断してはいけません」。小中学生の頃、先生たちから何度となく教えられてきた言葉である。「粗末な身なりをしている人だからといって、蔑んだりしてはいけない」ことを伝えようとした言葉だ。この言葉の中には、立派な身なりをしていても、高潔な人ばかりとは限らないという意味も含まれている。この場合の「判断」は、主に人間としての品性を基準にしたものでなければならない。

 世の中には、身なりだけで人を不当に判断したがる人が、たまにいる。そういう人たちに限って、品性がなく、強い劣等感を隠し持っているという点で共通しているように思う。金や権力に媚び、すり寄ってくるのも、このタイプに多い。

 大抵の人は、「身なり」だけで人を判断するようなことはしない。しかし、「見た目」で判断はしているように思う。この場合の「見た目」とは、身なりだけでなく、その人の表情、しぐさ、目の動き、物言いなどの複数の情報を含んだものだ。これらの情報を総合すると、その人の品性や知性のレベルをおおよそ判断できる。

 メラビアンの法則というのも、この考えに酷似している。「人物の第一印象は、初めて会ったときの3〜5秒で決まり、その情報源のほとんどを視覚情報から得ている」というものだ。ここでいう視覚情報とは、前出した複数の情報とほぼ重なっているように思う。要するに、人を「身なり」ではなく、「見た目」で判断するのはごく自然な行為であり、悪いことでも、軽率なことでもないと言える。

 「見た目」の判断をより正確にしていくには、自身の品性を磨いていくことしかない。品性が良く磨かれている人は、他人の性格や知性、教養、特徴をより正確に見通すことができる。では、品性を磨いていくためには、どうしたらよいのだろうか。考えるに、多くの本を読むことと、多くの人と出会うことだと思う。

 本は書き手の知性、教養が凝縮されている。多くの人と出会えば、色々な人の性格や特徴が見えてくる。本を読まずにいると、目は曇り、物の見方、考え方が偏向的になってしまいそうだ。ついには、「身なり」だけで判断してしまう人になってしまう。

 ときには優れた品性を持ちながら、変てこな風貌をした人がいる。芸術家タイプの感性を持った人に多いようだ。もし芸術家タイプの人ではないとするなら、ただの変人という評価をするほかないが。