【街景寸考】車間距離のこと

 Date:2017年03月08日08時01分 
 Category:エッセイ 
 SubCategory:街景寸考 
 Area:指定なし 
 Writer:大昭寺いさじ
 わたしの場合、車を運転しているときは十分車間距離を取るようにしている。法定速度が時速50kmなら50m、時速40kmなら40m見当だ。これだけ車間距離を取っていれば、運転していても過度な神経を使わずに済み、楽な運転ができる。前の車が急ブレーキをかけても、追突することはないし、後ろの車に追突されるリスクが低くなる。

 この車間距離のことも含めて運転操作をしているとき、「運転している」という意識はあまりない。車が自分の一部になっているような、自分が車の一部になっているような感じなので、連携というより一体に近い関係だと思ってきた。

 このことをカミさんに言うと、「ワーッ恐ろしい。もう齢なんだから、ちゃんと運転しているという意識で運転してよ」と怒られた。確かに、「運転している意識はない」という言い方をすれば怒りたくなるのも無理ないが、実際にそういう感覚で運転しているのだから、ほかに言いようがない。

 バックミラーやサイドミラーにチラチラ落ち着きなく視線を移し、身を乗り出しながらハンドルを両手で硬く握りしめて運転をしている人がたまにいる。年増の女性に多く、いかにも頭の中は「運転をしている」という意識でいっぱいの状態だ。こういう運転をする人の助手席に乗りたいと思う人は、誰もいないはずである。

 かなりのスピードを出しながら、前の車にピタッとつけて走る車をよく見かけることがある。こういうタイプが運転する助手席もお断りである。手に汗してハンドルを握りしめ、神経を高ぶらせ、前を行く車に「早く行かんか」と乱れた心で運転しているに違いない。気は疲れるし、事故のリスクも高くなり、良いことは一つもないはずである。

 人間関係も、この車間距離の原則に似たところがあるように思う。お互いが、まだどういった人物であるのかを知らない段階で一方的に距離を縮めようとすれば、良い関係を築くことができなくなる。逆に、気心をある程度分かり合える距離まできたというのに接近速度を落としてしまうと、お互いの距離が遠のいてしまう。

 人間関係の安心、信頼を確保しながら付き合っていくには、そのときどきのお互いの心の距離に合った適度な接近速度が必要である。この塩梅が分からない人がたまにいるが、良くも悪くも不器用なタイプの人に多い。

 そう言えば、先日、バンパーを取り替えなければならない運転ミスをした。「もう齢なんだから」というカミさんの指摘を認めざるを得ない事故だった。「運転しているという意識」が必要な齢になってきたということか。