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【街景寸考】「老醜」のこと
Date:2017年04月12日08時01分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
花は美しい盛りを過ぎると、その色を失い、萎れてしまう。美しい花に例えられる女性たちも、いずれはこうした運命を辿ることになる。男性を花に例えることはないが、最近のテレビ報道でよく目にするようになった石原慎太郎氏のことを、こうした運命と重ね合わせて見ていた。
石原氏は大学在学中に「太陽の季節」で芥川賞を受賞し、作家活動から政治家に転じ、議員辞職後は東京都知事を14年間務めてきた人物だ。日活映画の大スターだった故・石原裕次郎氏の兄ということでも注目されてきた。
その聡明、精悍な風貌は魅力的であり、弟の裕次郎氏とは違うオーラを放っていた。そうした魅力やオーラは東京都知事を続けていた70歳前後まで持ち続けていたように思う。政治、経済、歴史、文学等と幅広い分野に深い見識を持ち、そこから発せられる歯に衣着せぬ話しぶりには幾度も感銘を受けてきた。
ところが、豊洲市場の移転問題でテレビ画面に映っていた石原氏には、はっきり言って変わり果てたという印象を持った。老醜と言っていいほどの変わりように思えた。特にそう感じたのは、百条委員会で自らの責任を回避し、返す刀で小池知事を強く非難しているときの様子を見たときだった。
このときの映像を見ながら、人は老いによって誰しも老醜を晒すことになるのだろうかと自問していた。老いれば皺が増え、皮膚が弛み、背中や腰が曲り、髪も白くなり薄くなる。歩く姿も覚束なくなる。いわゆる老化現象に覆われ、盛りだった頃の颯爽とした健康美が消え失せてしまう。
しかしながら、こうした老化現象を指して老醜と表現するのは、間違っているという思いもある。病院の外来でお互いを気遣いながら話をする老人たち、畑でひたむきに農作業をする老人たち、元気な声を張り上げながらゲートボールをしている老人たち、そうした老人たちは皆まろやかで、可愛くさえある。老醜を思わせる印象はどこもない。
要するに老醜というのは、心の醜さからくるものであり、老いからくるものではないということだ。愚痴や小言を言い、我が儘に振る舞い、気に喰わないことがあれば直ぐに不機嫌な顔をする老人は、老醜と揶揄されても仕方ない。石原氏を見て老醜を感じたのも、その変わり果てた老いの姿を見てのことではない。