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【街景寸考】くせ毛のこと
Date:2017年04月26日08時01分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
学生時代、若者の間に長髪が流行していた。わたしも同じように長髪にしたかったが、できなかった。タワシのように髪質が硬く、その上くせ毛だったからだ。子どもの頃はサラサラの直毛だったが、いつの間にか変化していた。中高校生のときは坊主頭だったので気づかなかったが、その時期に変化したのだと思われる。
髪質の変化に気づいたのは、東京で浪人生活を始めた頃だ。床屋代を節約するため髪のことを放っていたら、頭の上が大きく波打っているのが手のひらの感触で分かった。銭湯からの帰り道だった。
サラサラの直毛を望まないまでも、せめて起伏の目立たない髪型になりたかった。整髪料を買い、直毛風になるようブラシを使って色々試みたが、駄目だった。そんなわたしの気持ちも知らない友人たちは、会えば「なんだ、その頭。パーマでもかけたのか」と無神経に声をかけてきた。あいさつ代わりの言葉ではあったが、頭髪のことを言われるたびに気分が萎え、「天然だ」と返事をするたびに腹が立っていた。
この時代、髪の長い若者が多かったのは、音楽界で活躍するビートルズやフォークグループの面々が長髪をしていたからだった。若者たちの長い髪は、風に優しくなびき、風が止むと元の位置に戻った。たったそれだけのことが、凄く恰好良く見えた。自分も子どもの頃のような髪だったら、風になびいたのにと悔やんできた。
当時、試しに髪を長めにしたことがあった。長めにしてみても、少々の風ではびくとしなかった。強い風が吹いたときは、スズメの巣のように頭髪が崩れ、風が止んでもスズメの巣のままだった。人目があるので急いで頭を強く横に振って元に戻そうとしても、ショーウィンドーには壊れたスズメの巣のような頭が映っているだけだった。
結婚後、髪のことはカミさんに委ねてきた。お陰で30数年は床屋に行ってないことになる。このことを近所のオヤジ連中に話すと、信じられないという表情をした。「散髪代を節約したので、家が建った」と冗談を言うと、中には真顔で聴き入るオヤジもいた。
還暦を迎えてから、髪が少しずつ柔らかくなってきた。くせ毛の起伏も小さくなってきた。老化現象なので嬉しくないが、悲しくはない。
ただ、風になびく髪への憧れは未だにある。