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【街景寸考】後悔してきたこと
Date:2017年05月10日08時01分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
中学生になって初めて英語の教科書を手にしたときは、「外国語」の勉強ができるという嬉しさと、誇らしさで胸が膨らんでいた。ところが中3辺りから、授業を受けるのが段々と億劫になっていった。高校英語になると長い英文を見るだけで胸やけがし、その横文字が不吉な悪魔の呪文のように見えることもあった。
以降、英語への劣等意識を抱えながら半世紀近くを生きてきた。英語が苦手というだけなのに、何か人間的にも劣っているように思えるのが悲しかった。英語が喋れていたら自分の行動半径は、もっと広がっていたに違いないと何度も悔やんできた。
学生時代、中央線・立川駅のホームで米国の婦人が、わたしに喋りかけてきたことがあった。突然のことで狼狽したわたしは、咄嗟に手を強く横に振り、その場から逃げるように立ち去った。英語が喋れないことを知られるのが恥ずかしかったからだ。後年、この恥ずかしさの中には欧米の文化・文明に対する劣等意識が混じっているということを、何かの本で知った。日本人の国民性によるものらしかった。
以前観た邦画の中で、主人公が「ここは日本だ。日本にいるなら日本語で話しなよ」と米国人に啖呵を切る場面があった。この場面を観ながら心の中で手を叩いていた。少しだけ英語の劣等意識から解放された気がしたからだった。
シンガポールからきて3年目になる次男の嫁は、かなり日本語が話せるようになってきた。家族みんなで楽しい会話をしていても違和感はない。ところが、この会話の最中にどういうわけか突然次男夫婦だけで英語を話し始めることがある。こういうとき、周りにいる者はどう体裁を取り繕ったらよいのか戸惑ってしまう。
分からない二人の会話をじっと聴き入っているのも妙であり、アホ面をして英語が止むのを待っているのも変になる。なんとも調子の悪い間合いであるが、カミさんたちは平気にしているところを見ると、わたし一人が間抜けな状態になっているのかもしれない。
先日次男夫婦にめでたく第一子が誕生した。わたしにとっては9人目の孫娘になる。当然ながらこの孫娘は幼い頃から英語を話し始めることになる。そのことはもちろん嬉しいことではあるが、羨ましくもある。ヨーイドンで孫娘と英語力を競いたいと思ってみたが、思っただけである。