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【街景寸考】親孝行のこと
Date:2017年05月17日08時01分
Category:
エッセイ
SubCategory:
街景寸考
Area:
指定なし
Writer:
大昭寺いさじ
親孝行という言葉はあるが、子孝行という言葉はない。「孝」という言葉自体に「よく父母に仕えること」という意味があるからだ。親が我が子を愛し、育てる行為は動物的な本能による力が大きく、道徳や倫理による力だけではない。
逆に、子が親を敬い、大切にするという親孝行は、愛情や恩義に報いようとする気持ちから生じたものであり、本能の介入はほとんどない。こうした気持ちは親子の信頼関係が前提になければならない。この信頼関係がなければ親孝行もない。
わたしの場合、母を信頼し、尊敬もしていたが、母から信頼を得ていたかどうかについては、あまり自信がない。なにしろ、独身時代に「自分の息子には愛想が尽きた」と母の手帳に書かれていた身だった。大学卒業後、ちゃんとした定職に就かず、場当たり的な生活を続けているのを見兼ねて、走り書きをしたに違いなかった。こんな状態を30歳頃まで続けていたので、その間ずっと母に心配をかけてきたことになる。
結婚して子どもが生まれてからは、カミさんの協力を得ながら過去の親不孝を何とか挽回しようと努めてきた。この挽回で親孝行が親不孝を上回ることができたのか、できなかったのかは分からないが、少なくとも晩年の母に心配をかけることはなかった。
「親に心配かけないのが一番の親孝行」という言葉がある。言い古されてきた言葉ではあるが、自分の子どもたちが結婚し、孫ができる齢になってから腑に落ちるようになってきた。つまり、自分がその立場になって、親孝行の意味が理解できるようになった。
今、ありがたいことに、すっかり自立している子どもたちのことで、心配するようなことは何もない。従って、子どもたちからちょっとした気遣いをしてもらっただけでも嬉しく、何かをしてもらわなくても嬉しさは変わらない。
子どもたちから親孝行をしてもらっている自分のことを思うと、母に心配をかけてきた後悔が強くもたげてきてしまう。わたしのことを「愛想が尽きた」と手帳に書かざるを得なかったときの母は、どんなに情けなかっただろうと思う。どんなに辛い気持ちで書いたのだろうと思う。
「母の日」の今日、カミさんがカーネーションを仏壇に供えてくれていた。その前に座り、母の写真を見ながら手を合せた。